茶箪笥のモリタート

考察は妄言 深読みは趣味

機動武闘伝Gガンダムを観た話

はい。


年末年始にかけて機動武闘伝Gガンダム(1994年)を視聴したので、その感想文です。
前書きというか視聴に至った流れはガンダムWの感想記事↓に書いたとおり。
3monopera.hatenablog.com


いや〜Gガンダム、面白かった。凄い好き。

魅力的なキャラクターたちの全力ハチャメチャ超必殺技バトルや彼らの紡ぐ物語は時に熱く時に笑え時に涙し……と最高のエンターテイメント作品だった。

掛け声でガンダムを呼び出し、専用のスーツを身に纏い、必殺技の応酬をする。
わたしは自分自身が思っていたより変身とロボットとタイマンバトルが大好きだったようで*1心の中の小学生が大喜びしてた。
わたしも指パッチンでガンダム召喚してえな〜。

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作品について

シナリオ自体は至極明快。

ネオジャパンの代表としてガンダムファイトに出場することになった主人公ドモン・カッシュが、デビルガンダムを伴って地球へ逃亡した兄を探しながら、冷凍刑に処された父を解放するためファイト優勝を目指して戦っていくというお話。

そして物語の元凶ともいえるデビルガンダムを取り巻く様々な思惑に巻き込まれ、戦いの中で仲間と共に成長し、巨悪に立ち向かっていく。


ドモンのバトルをメインに据えながらも間にシャッフル同盟の仲間たちの掘り下げを挟んだり、数話ごとに新展開を作ったりと飽きずに最後まで楽しめる構成だった。

基本的に1話ごとに話が完結するためテンポがよく、物語を通した目標自体も「デビルガンダムを倒す」「ガンダムファイトに優勝する」とわかりやすく提示されているためつっかえることなく観ることが出来た*2


王道なシナリオと個性的でキャッチーなキャラクターデザイン、世界の覇権を争って各国代表のガンダムがタイマンバトルするというぶっ飛んだ設定にまず目を引かれる本作であるが、なかなかどうしてその舞台設定はシリアスだったりする。


主人公ドモンとカッシュ家に襲いかかった悲劇はマジで不幸すぎて笑えないレベルだし、垣間見える地球とコロニーの格差、荒廃しきった地球と顧みられることのない民間人、ガンダムファイトの代理戦争としての側面なども立ち返って見るとけっこうヘビー。

更に終盤では巨悪を倒すために各国の最終兵器奥の手が次々と飛び出してきて(その絵面の勢いに私は大爆笑してしまったのだが)、主要大国がそういった軍事力をいつでも使えるように隠し持っていたという事実がしれっと提示されていたりする。

ガンダムファイトによって戦争が必要なくなった世界だと言いつつも、そこにあるものは薄氷の上の仮初の平和だったのだ。
放映されていた時代を思うとなかなか皮肉が効いている。


まあでも共通の敵を相手にして各国がちゃんと持っている隠し玉を使い、総力をあげて立ち向かえたのだからあの世界の未来は案外明るいのかもしれない。
国家の戦力の開示がないままガンダムファイト優勝!また 次回!で終わっていたら作中で挙げられた多くの問題について根本的な解決の目途は何も見えなかっただろうし。

手の内を明かしてしまった以上、世界各国は腹を割って話し合うスタートラインに立ったわけである。結果論とは言え、上手い方向に進めたのだ。
まさしく希望の未来にレディーゴーな良い着地点だった。

絵面の面白さと話の内包するシリアスさのバランスが絶妙だったな〜と思う。
オタクって明るく見えて実は重い話大好きだから……


あとGガンダムのOP、2つともメカの動きとカメラワークが凝ってて格好良かった。この作品に限らずだが、OPって格好いいシーンと情報が圧縮して詰め込まれているので見ていて楽しい。
EDの無限ループアニメーションもなんだか癖になる出来だった。
曲としては特に後半のOPが好みだった。爽やかでちょっと懐かしいメロディラインと物語も折り返しに来たんだな……と思わせる歌詞がイイ。
筋金入りの離別フェチこと筆者としては後期OP中の歌詞「いつか時代が変わっても僕は忘れない」にその波動を感じてニッコリしてしまった。

後半EDラストの集合写真もそういう感じで好き。
シャッフル同盟はサポーターも含めたあの大所帯がみんなそれぞれ個性的で楽しかったなあ。


舞台設定について


話は変わって舞台設定について。
ネオ○○という安直な未来設定の国名大好き。


ガンダムWや大昔に兄の遊んでいたコンパチヒーローもののゲームで見たおぼろげな知識しかないが、私の知るコロニーの形は機械的かつ画一的な、窮屈そうな形状をしたものだった。
そのイメージに違わず、そして理屈においても当然であるが、ガンダム諸作品において虐げられる側がコロニー側であることも一応知っていた。


ところがどっこいGガンダム、各国が思い思いの巨大かつ独創的なコロニーを作り上げ、地球を捨てて豊かな暮らしをしているという設定なのである。かなりのとんでも設定ではあるものの、Gガンダムの世界ならばそうもなろう!という有無を言わせぬ勢いと説得力はすごいと思った。

だからこそガンダムファイトという代理戦争のリングとして、ここならばいくら暴れても構わんとばかりに地球が使われることになるのである。そしてそれが様々な思惑の発端となっていくわけで……

Gガンダムアナザーガンダム*3の第1作品目だったらしいので、それまでの対立構造をひっくり返してこれまでとは違う世界線であることを印象づける意図があったのかもしれない。

ぶっ飛んでいるようで案外練られた舞台設定にはつくづく感心する。


それはそれとしてガンダムファイト決勝トーナメントの舞台がネオ香港だったの、監督なのかスタッフなのかはわからんけど趣味全開って感じで好き。

あのネオンと屋台の雑踏とビル群の入り混じった独特の雰囲気は個人的にも好きなので楽しかったし、挿入歌もネオ香港に入って広東語になるこだわりようには笑った。
そして多分Gガンダムのあの無茶苦茶感は香港のアクション映画リスペクトのノリなんだなと妙に納得できたし腑に落ちた。

いいよねあのアクション一点突破の世界観。久しぶりに「酔拳」が観たくなった。


シナリオ所感


以下からは物語の根幹といえるようなネタバレも含む感想文になります。
何卒御注意されたし。

Gガンダムには明かされる事件の真相!とかあの人物の行動の意図とは!といった要素があるぶんネタバレの罪は重いのだ。
未視聴で本作に興味のある方がもしここにいたらまず視聴してほしい




というわけで。
Gガンダムを鑑賞して一番驚いたのは明るげな絵面のわりにネームドキャラそこそこ死ぬじゃん!!!という点。
大規模な戦争行為はないためモブ死は少なめだが、名有りキャラメインキャラがわりと死んでいったように思う。


ガンダム作品は戦争モノだし、無知ながらも人がよく死ぬ印象は持っていたのだが、如何せん最初に観たガンダムであるWではメイン級キャラがほぼほぼ生存したため気が抜けていたのかもしれない。


まあでも、敵にせよ味方にせよ死ぬキャラクターたちは作中の役割をしっかり果たして理想的な最期を遂げていたと思うのでグッドです。
作品世界における死は最大の見せ場なのだ!

序盤のチャップマンの死はガンダムファイトの暗部と作品の世界観を見せる意義があったし、シャッフル同盟の引き継ぎイベントはこれからは彼らでなくドモンたちが先頭に立って道を切り開かなければならないのだと示すために必要だったと思う。格を失わないための退場ともいえる。

ウォン首相は黒幕の前座として最高のやられ方をしてくれたし、ミカムラ博士も事件の真相を明かし改心し仕事はしっかり果たしての最期だし、ウルべも暴れに暴れて異形となり灰になって崩れる最期は悪役として百点満点だった。

兄さんたちと師匠の死は語るべくもない。どちらも違う熱さと感動をもたらしてくれた。

シュバルツが散ってマスターアジアが暁に死すまでの濃度がすごいし、最高潮の盛り上がりを2話連続でぶち当てて来た出し惜しみのなさも相当にすごい。


あと、デビルガンダムの打倒とガンダムファイトの優勝という2つの目的が結果的に1つの方向に収束していく話の持っていき方が上手いと思った。

これらがずっと別ベクトルに展開していたら話がとっ散らかりはじめるだろうし、かと言ってどちらか1つの話に絞っていたら49話も持たずダレていただろう。マジ絶妙。

そしてこの2つの目標の間に挟まれた
敵対する東方不敗の思惑とは?
例の覆面の人の正体とは?
何やらデビルガンダム事件には裏がありそうだが?
など、わかりそうでわからないいくつかの謎。

計算によるものなのかバランス感覚によるものなのかは定かでないが、いずれにせよ視聴者を飽きさせず作品に引き込む脚本サンの手腕にはしびれた。


あとGガンダム、例の事件の真相や犯人についてのスリードがかなり上手くない?

物語開始時点で既に口のきけるカッシュ家側の当事者がいないから証言はいくらでも偽造できるし、ウルべはデビルガンダムから直接攻撃を受けてる≒デビル細胞に接触してるし、ミカムラ博士はドモンの受ける非道なシュミレーション実験を止めもしないしで序盤に出された情報だけでも既に怪しさ満載なのだが、カラト委員長にヘイトを向けたりインパクト大の師匠やクッソ怪しいウォンを登場させるなど上手いこと他の要素で覆い隠して真実を撹乱していたと思う。


情報がしっかり提示された上でちゃんと真相に驚けたので満足度が高い。
ゲルマン忍者の正体もどうせこうなんだろ~と思っていたら変化球で来たのであっそうなんだ!?と結構びっくりした。



あとはドモンからレインへの愛の告白が最高でしたね。
レインと視聴者を待たせに待たせただけあった。
ファイターは拳でしか語り合えない、拳で分かり合えたからあのガンダム連合になったという事実がありつつも、最後の最後に大事なことは口で伝えろ!とシンプルな答えに行き着くのは素晴らしいと思う。
ところで石破ラブラブ天驚拳から出てきたあのおじさんは誰だったんだろう……
はじめはシュピーゲル戦後のヨリを戻したタイミングで愛してるくらい言うことも出来たんじゃないのとも思っていたけれど、よくよく考えるとあの時点ではドモンの抱える問題はまだ何の解決もしていなかった。

デビルガンダムと兄のこと、師匠のこと、父のこと。更にはアレンビーの行方不明とシュバルツの件も重なった。そういった諸問題をまず解消しなければ、自分自身のことに進めなかったのだろうことは容易に想像出来る。

ガンダムファイトを勝ち抜き父も冷凍刑から解放され、世界とレインを天秤にかける段になってようやく出来た愛の告白だったのだと思うと感慨深い。
ドモンは絶対マルチタスクできないっしょ。わたしが言えた義理じゃないな。


語ろうとすると作品後半の話ばかりになってしまうけれど、話の盛り上がりにはそこに行くまでに積み立ててきたキャラクターたちの魅力や話への期待感が不可欠なのです。
無論その積み立てをカタルシスに昇華する技量も不可欠。
1つの作品として本当に完成度高かったな〜。


ガンダムデザイン所感


すごかった。
ガンダムファイトの舞台設定に違わず国ごとに開発した機体が登場するのだが、どのガンダムも各国の誇張されたイメージが反映された一度見たら忘れられない強烈な個性を持っていた。
中にはもう国とか関係なく某美少女戦士にしか見えないガンダムもいたり、悪ふざけに対して良くも悪くもおおらかな当時の気風が見えて愉快だった。


個人的に最高にツボだったのはマタドールガンダム
胴体が牛の顔になっているずんぐり体型なのもおかしいけど必殺技が「レッドフラッグカモン」て。名前とビジュアルと必殺技が牛と闘牛士の間でフラフラしててふーん、おもしれぇガンダム……って感じだった。


あと好きなガンダムマンダラガンダム
ゴエモンインパクトみたいな腕をして、下半身は鐘という圧倒的に「ありえんだろ」枠のガンダム。なのだが、見ているうちに段々と格好良く思えてくるのだからすごい。何事も表現次第なのだと勉強になった。
搭乗者キラルとそのエピソードが良かったんだよな〜。復讐を胸に秘めた盲目の暗殺者。得物は錫杖の形をした仕込み刀。こんなん皆好きだよ。
ラストバトルのガンダム連合では久々の再登場でちゃっかりまとめ役ポジションに就いていたし、やはり人気があったのかもしれない。


そんな全身全霊でふざけ倒したデザインの各国代表ガンダムに対し、主人公機であるネオジャパン代表シャイニングガンダムゴッドガンダム、ただただストレートに格好いいのだ。
主人公機だから当然といえば当然なのだが空気読めてねえぞ!と野次が飛びそう。
まあとにかく、日輪背負ったゴッドガンダムは本当に格好いい。

ウイングとゼロもそうだけど背中に何か背負ってる(物理)ガンダムはなんか特別感あってイイよね。
ドモンとレインの絆の深さを再確認するシャイニングからゴッドへの乗り換えイベントも熱かった。デザインもエピソードも活躍も百点満点なのだからズルい男(?)だぜ。2つの目のOPで映るギアナで役目を果たしたシャイニングの姿もめちゃくちゃ好き。ロボが自然の中で朽ちる姿はどうしてこうも唆るのか。
レインの乗ったライジンも格好良かった。シャイニングと対になるような配色と、武器が薙刀と弓っていうのがシブくてイイ。


シャッフル同盟ガンダムたちのデザインも各国の特徴を活かしつつ格好良さを損なわないバランス感覚が絶妙だった。

特に好きなのはガンダムローズ。あのマントデザインの肩とかイロモノ感はありつつもちゃんと格好良くまとまっていてすごいと思った(こなみかん)。
マックスターアメリカ要素盛り盛りで流石にゴテついた印象だけどメカの変形をこれでもかというくらい見せてくれたので楽しかったしOKです!


ガンダムシュピーゲルはドイツ要素どこにあるのかな……あの頭部かな……
とりあえずあのデザインはすごく好き。肘のところにブレードが付いているのがシンプルに格好良い。
シュピーゲルの最期、デビルガンダムに突進して念入りにダルマにされていくところがぬるぬるした作画でフェチを感じた。


あとはマスターガンダムも最高に格好良かったね!!!!
黒ベースの機体にマントっぽくもなる赤い羽根、特徴的な頭の角に、トドメとばかりの風雲再起!馬に乗るガンダムってなんやねんと思いつつもビジュアルがかっこいいのだからもう何でもヨシ!
風雲再起かわいいし頼りになるし最高。


デビルガンダムはボディも巨大なガンダムの顔になってるのが騙し絵みたいでナイスデザインだった。
あと新宿でのデスアーミー軍団の種明かしがすごい好き。人々を襲撃してるのではなくてデビルガンダムの中に戻るために寄ってきてるって真実がおぞましく、筋が通っててイイ。

デスアーミーといえば頭部のモニター部分に瞳?があるだけでやたら生き物チックに見えるのだから面白いなと感じた。


ところで父さんと兄さんはあの禍々しいデザインと性能のガンダムで本当に地球を救えると思ってたんですかね……?

墜落の衝撃でプログラムがバグったと言っていたが、正直遅かれ早かれアルティメットガンダムはああなっていたのではないかと思わなくもない。自律型メカが人間の脅威と化すのはお約束だし。な!GLaDOS!*4

あれらが避けられない悲劇だったとすれば、カッシュ一家が優秀すぎたのが全ての元凶っすね……悲しいね……


あと最後に一つ。あのファイタースーツ
もう慣れたから良いけど、はじめの頃は何が悲しくて毎話ガタイのいい男たちのピッチリスーツを眺めなければならないのだろうと思っていた。Gガンダム制作陣狂ってるよ……
服の作画コスト削減が目的なのだと思うけど、レインとかナスターシャさんよりドモンとかファイターのボディラインを多く見せられてるって考えるとさぁ……
余談だが友人にこのことを愚痴(?)ったら「劣情を抱く一歩手前」と言われて怖かった。そんなことある?


キャラクター所感


本作はトンデモバトルと人間ドラマで構成された作品である。
キャラクターの掘り下げがそのままシナリオの魅力や作品の深度になっているというか、いい意味でキャラクター主体の作品だった。
そんなわけで各キャラに対する思いは千々にあるのだが、既にかなり文量を費やしているので泣く泣く主要な面子に絞り込んだ。

ピックアップできなかったけど船のおじいちゃんと孫たち、めちゃくちゃ好きだったよ……

  • ドモン

ハードボイルドを装っていた甘ったれ小僧な主人公。
本作は彼の成長譚なので、未完成の人物としての描かれ方が強かった。キングオブハートと言いつつ中盤までは肉体面もファイターの中で圧倒的というわけでもなかったし、今考えると師匠にやる事(人類抹殺)が出来たが故の半分押し付けられた形の称号だったのだろう。

へこたれた時とかによく出てくる素?の口調にナイーブさや気の優しさ、成熟していない精神性が現れていて味わい深いキャラだなあとしみじみした。
とりわけミカムラ博士を思わず「ミカムラのおじさん」と呼んでしまったシーンは印象深い。人を憎みきれない側面は度々描かれてきたが、事件の元凶までも泣いて身を案じるとは思わなかった。それが彼の甘さでありいいところでもあるのだろう。

初期はやさぐれて一欠片の余裕もなく突っ走っていた彼が、ギアナ高地での仲間との交流やデビルガンダムとの決着(仮)を通して気のいい普通のあんちゃんに進化し、ガンダムファイト決勝の中でどんどん使命感に燃える熱い男に成長していくという人間性の回復にはなんだか親心で嬉しくなった。

しかしレインの扱いだけはずっと散々だった。ドモンにとって甘えられる人がレインしかいないとはわかりつつもずっとハラハラさせられた。
だからこその最終回のストレートな愛の告白が引き立つわけですけどね。
巻き起こった悲劇に揺れ動きながらも成長し、悲嘆しながらも己の手できっちり事件の清算をし、最後には男を見せて幸せを掴み取ったドモンには称賛を贈りたい。
レインと二人、支え合って幸せになれよ!

彼の成長はレインがいて師匠がいてシュバルツがいてシャッフルの仲間たちがいて、と多くの人に支えられてのものだった。
物語スタートの境遇が最低最悪だったぶん仲間に恵まれて本当によかったなぁ……


  • レイン

邪険に扱われてもずっとドモンに寄り添いサポートし続けた献身的ハイスペックガール
医者だしガンダムの整備士だし自分自身もそれなりに戦えるしで才女ってレベルじゃない。そしてなにより母性すら感じる愛の深さ。先述した通り本作はガンダムの乗り換えイベントが激アツ激ドラマチックで最高なのだが、その立役者はレインです。ナイスヒロイン。

あと、サイサイシーにスカートをめくられて恥ずかしげに顔を伏せながら目だけを仰いで「見たのね?」とドモンを睨む姿が最高でした。レインかわいいぜ……

例のキョウジの写真(カッシュ家の家族写真 )を撮ったのがレインだと描かれた時、なんだかよくわからない感情がこみ上げてわたしは泣いてしまった。
共に写真に写るでもなくただ嬉しそうにカッシュ家の写真を撮った幼いレインを見たら、小さい頃からずっと一緒にいて、本当にずっとドモンに寄り添い続けていたんだと改めて感じて……たまらなくなっちゃって……

それを踏まえてのデビルガンダム事件の真実を知ったときの本気の台パンはマジで胸が痛かった。
愛するドモンの苦しみの元凶が他でもない己の肉親だと知った彼女の心境はいかばかりか。理知的な彼女が物にあたる程にやる瀬が無かったのだと思うと非常に辛い。
どうかこれからはドモンと一緒に幸せになって。

それはそれとして「今の私はネオドイツの女!」は最高に笑わせていただいた。ビジュアルが愉快なのに登場人物全員真剣なGガンダムのノリほんと好き。


シャッフル同盟って名前、絶妙にアホっぽくて好き。
4人とも個性があっていいキャラしていたし、バラバラだった彼らが戦いを経て掛け値なしの仲間になっていく様は割と暗めな本作の救いだったと思う。

悲しい過去とトラウマ持ちの陽気な軟派キャラ
礼儀正しくキザだけど実は熱血パワーキャラ
おちゃらけたトラブルメーカーな天才少年
寡黙だが公正で心優しい強面の囚人
と、それぞれ2面性を持っていて、抱える悩みや問題が話の中で徐々に明かされていく。
それらをドモンや自国サポーターの助力で解決していく描き方も王道ながらドラマとして魅力的だった。Gガンダム仲間がいるから成長できるという側面をかなり大切にしている感じが好き。
それぞれについて語り始めると絶対止まらないので各メイン話の中でも好きな話のピックアップで我慢する。


チボデー:第31話「ピエロの幻惑!怒れガンダムマックスター
チボデーの弱さと情けなさと格好良さがつまった話だと思う。
なんかこう、寄り添ってくれる女の子に己の弱い所をさらけ出して甘える感じに「これがモテる男の手腕か……」と変に感心してしまった。クールでスマートな男じゃなくてチボデーみたいなだらしないけどやる時はやるキャラがモテ男担当なの、なんか生々しくない?


ジョルジュ:第43話「獅子争覇!グランドガンダム迎撃作戦」
チボデーが勝手にパンチ縛りプレイ始めたもんだからジョルジュがめちゃくちゃ頑張っていた。裏ではマリアルイゼさまも頑張っていたので実質ネオフランス回。ナイスファイト。
ジョルジュは貴公子然としていたいけど追い込まれると泥臭いパワーファイターになるというのがいい。その上この回は閃きも冴え渡っていたからすごいぜ。


サイ・サイシー:第37話「真・流星胡蝶剣!燃えよドラゴンガンダム
ずっとおちゃらけてた天才少年の全身全霊をかけたバトルはマジで熱かった。腕をもがれても脚で!頭部で!って戦い方が格好良い。個人的ベストバウト。
それとは別に「試合放棄!?恋にドキドキ、サイ・サイシー」ってタイトルは天才だと思う。サイ・サイシーメイン回は動きが多くてとても楽しい。


アルゴ: 第8話「仇は討つ!復讐の宇宙刑事
アルゴメイン回はビターな雰囲気の話が多くてイイ。囚人だもんね。初期の薄暗いハードボイルド風な話運びもなんだかんだ楽しかったな。
仇が実は仇じゃなかった失意で崩れ落ちるグラハムに弁解もせず、彼の妻を死なせたのは事実だから仇を討ちたければ来いと背中で(?)語るアルゴは寡黙な男として百点のキャラ立ちだった。
あとナスターシャさんの女口調がいっぱい聴けるのでそこも好き。


それぞれが自分のところのファイターのことを大事にしていて安心感があった。
全員集合のホーム感大好き。

あと先述の通り、2つめのEDの集合写真(レインがドモンにキスする瞬間)がそれぞれのキャラクター性がわかってすごい好きなんですよね。
チボデーの特大リアクションとジョルジュのヤレヤレ感、ニヤニヤしながら覗き込むサイサイシーに微動だにしないアルゴ。
チボデーギャルズは嬉しそうにガン見して、レイモンドはハンカチを噛んで、じいちゃんたちは明後日の方向に拝みだすし、ナスターシャはめちゃくちゃ取り乱す。
ところでなんでマリアルイゼさまハブなんですか(激怒)

ちなみにわたしの今作ビジュアルが好きナンバーワンはナスターシャさんです。全てが最高。椅子になりたい。
冷酷そうに見えて苦労人で、責任感が強く公正な人だった。そんな人間性も好き。最終的に国と立場を捨ててアルゴと行くのいいよな……
恐ろしく早いアルゴのほっぺのキスマークカットイン、オレでなきゃ見逃しちゃうね。


  • アレンビー

明るく無邪気な美少女サブヒロイン。わりとハスキー?系の声でそこも癖になるかわいさ。
搭乗するガンダムが攻めすぎててハラハラしたけどそれはそれとして負けヒロインとしては八面六臂の大活躍だった。
私だってドモンが好きなんだもんって絶叫しながらのレインとのガンダムバトルは哀しいし熱いし最高。その後の最終決戦でちゃんとレインに好きだと伝えなよ!とドモンの背中を押す彼女は輝いてた。
そうじゃないとドモンを諦められないって台詞、マジで愛が深いよな……


  • シュバルツ(+キョウジ)

ゲルマン忍者ってなんだよ(困惑)。

視聴中はビジュアルと言動が面白すぎて登場するたびに笑っていた(今も笑う)けれど、終わってみると格好良いキャラだったなと思えるあたりすごい。
ふざけた見た目でも本人が本気ならマジに見えるのだとわたしはGガンダムに教えられた。
それはそれとして。

シュバルツの最期は声優サンの熱演が群を抜いて凄かった。
それに感化されてシュバルツたちについて改めて考えさせられ、視聴後数日は発作的にその最期を思い出しては「兄さんッ……」とジョビジョビ泣いていた(オタク特有の誇張表現)。
どうにもシュバルツ及びキョウジ兄さんは気の毒というか救いがあんまりなくて胸が苦しくなる。もしかして……これが……恋!?

そんな事はどうでもいい!(ゲルマン忍者のドアップ)

死は救済論者a.k.aただの腑抜けことわたしとしては、死ぬより苦しい目に遭うくらいなら死によって苦しみから解き放たれる方がマシでは?と思ってしまうので、下手に強靭な心身と善良な精神を持っていたが故に死ぬことも出来ず過酷な道を人知れず進んでいた彼らに要らん同情を抱いたのだった。

シュバルツというロスタイムを使って起こした行動が、助かろうとするのではなく弟を支えること、そしてデビルガンダムを倒すために弟とその仲間たちを導くことという自己犠牲精神よ。
薄れゆく意識と死にゆく身体で考えることが弟が無茶しないように支えることだなんて、あの兄さんあまりにも人が良すぎんか……

なんというか、デビルガンダムに取り込まれて倒されるだけだったならまだそんなに辛くはなかったが、助かろうとするでも誰かに助けを求めるでもなくただ孤独に戦っていたのが非常に辛いなあと思うわけです。この点は師匠にも当てはまる。
そんなわけで、シュバルツが正体を明かした際にドモンに「私も辛かったぞ」と弱音を吐いたシーンがすごく印象的だった。わりと救いがねえ!
「言えたじゃねえか」「聞けてよかった」

ドモンもあんだけ陰から日向から支えられていたと知ったら、例えアンドロイドだったとしてもアンタは俺の兄さんだと泣きたくなるよなあ。
そして最終決戦の際、ドモンが回想にて「兄さん」と「シュバルツ」を別個に呼んでいたのが地味にいいなと思った。シュバルツも自分とキョウジは区別していたようだし、個々として存在を認識されたうえで兄と思われるのは嬉しかろう。

地球に降りてからの彼らの運命は辛く苦しいものだったが、久しぶりに会えた弟に兄らしいことが出来たギアナの数ヶ月はわりとエンジョイ出来ていたんじゃないかと思いたい。そして成長した弟の手で目的が果たされたことも……

それが救いだったと信じて黙祷!南無三!
ドラマとしては最期まで含めて百点満点なので文句はないのだ!!!!

ちなみに年明け、営業さん*5ガンダムのビルドシリーズ?というガンプラ主体のアニメにてカッシュ一家(ジェネリック)が和やかにガンプラ作ってるシーンがあると聞き、わたしは断末魔をあげて爆発四散した。ビルドシリーズはそういう過去作の救済要素多いらしいぜ。手厚いね。

自分で言うのもなんだけど物語作品においてここまで一人のキャラクター、及びその死に揺さぶられることが今までなかった*6ので少し困惑している。
しみじみ良いキャラでした。


味方かと思いきや敵対者となるのは結構びっくりした。
はちゃめちゃに強いしマスターガンダムと風雲再起はかっこいいし、自分から縁を切ったくせドモンに師匠じゃないと言われたら怒るし、ウォン首相を利用するつもりが利用されてたり、愉快で格好良くどこか愚かしくて憎めない、とても魅力的なキャラだった。

あの東西南北中央不敗スーパーアジアのシーン好き。黒地にネオン感溢れるカラフルなスーパーアジア表記がお洒落だった。

ガンダムWのドロシー然り、敵対者が内に秘めた思惑を吐露するシーンが大好きなので師匠の最終決戦めちゃ良かったです。

その師匠の独善的な目論見を受け止め、人間も自然から生み出された一つだというちゃんとしたロジックで対応したドモンは偉いと思うよ。そのおかげで師匠も納得して論としての負けを認めることが出来たようだし。

その後の崩折れそうになるドモンの胴体に技をずらして立たせたり、悪党のワシ1人倒せんぞ!と言って鼓舞したり、師から弟子に最後に出来る事を託す感じがたまらなかった。
45話は師匠の表情の変化がまたイイんだこれが……

シュバルツ&キョウジの死と師匠の死が2話続けてだったの、改めて考えると本当にすごい。
最高だったからブルーレイ買っちゃお〜と思って調べたら2巻だけプレミアついてたのも納得ですわ。流石に買えん。再販してくれ。
話が逸れた。

ウォン首相にすら狂ってると言わしめた師匠の野望において、ドモンさえ新宿に現れなければという台詞から伝わる愛弟子だけは巻き込みたくなかった個人的かつ唯一の人間的エゴがいいな〜と思う。
企て自体もエゴだけどさ!

決着後の精神世界で決別していた旧シャッフル同盟たちの歩み寄りがあるのも好きだった。武闘家は拳でわかり合う生き物である反面、真に理解するためにはもっと話し合うべきだったという反省会。ここに最終話の布石がちゃんとあったのだなあと。

そして話し合いをしなかった事で袂を分かってしまったドモンと師匠、言葉で通じ合うことができたドモンとレインという対比構造も切なくていい。
愛弟子に看取られた師匠にとって、死は下された罰でもあり、間違いなく救済でもあったよ。
やりきった悪党にとって死は優しいのだ。


  • 悪役三連星

2つめのOPで3連続カットインをキメるおじさんたち。
正義!正義!悪!かと思いきや悪!悪!悪!だと判明しちょっと笑ってしまった。

皆同情の余地もないクソみたいな悪行をこなし、ちゃんと散っていった所が素晴らしい。
何を隠そう、わたしは清々しい程のクソ野郎が清々しくクソな行いをし、清々しく無様に散っていくのが大好きなのです*7
そういう意味でもあのおじさんたちは最高の役目を果たしてくれたなあと。

ウォン首相のいかにも香港マフィア!ってビジュアルと胡散臭い言動、利用したアレンビーの暴走の巻き添えになって死んだかと思いきやしぶとく復活して馬に蹴られてトドメを刺されるその顚末も素晴らしかった。

ウルべは見た目からしてめちゃくちゃ怪しいのに上手く隠したよな〜と感心する。「こんなこともあろうかと!鍛え続けたこの身体!」(ムキィ)Gガンダムらしい説得力で最高だった。わたしも悪役になったら一回言ってみたい。

ミカムラのおじさんは改心したけど取り返しのつかないことをしでかしたのもマジなのでちゃんと役目を果たして死ねて良かったと思うよ。死は救済。

師匠も含め、皆デビルガンダムに狂わされた悪役たちだったけれど師匠の目的の純粋さというか規格外感というか、やっぱり師匠は死してなお格が違うぜ!と思った。贔屓してる自覚はある。
ウルべたちも好きだけど師匠は大好き。


以上、キャラクター所感終わり。
なんか明らかに文量と熱量がおかしいキャラがいて我ながらキモいと思った。でもこういう熱量はいつか落ち着いてしまうので記録として書き留めておいたほうが面白いかなって……兄さん……


おわりに


くどいようだがGガンダム、凄くハマったし楽しかった。
近年触れた作品の中で1番好きかもしれない。
Wでも似たようなことを言っていたわたしは人間ボジョレーヌーボーです。

自分はわりと作品について偏食家で、なかなか好きになれる作品に出会う事が出来ないと思っていたのだが、もしかしたら自分の視野がだいぶ狭かっただけなのかもしれないと気づかされた。
殻を破ってくれたガンダム伝道師の営業さんには改めて感謝したい。


話は逸れるが、久しぶりに通話した大学時代の友人にGガンダムの話をしたら興味を持ってくれ、折を観て視聴してくれることになった。語り合う友人が欲しかったので嬉しかった。
営業さん……?ホラ、プライベートでまで会社の人とお話するのもなんかアレですし……
そして49話もある作品を一方的にお勧めするのは忍びなかったので、その友人が大好きな蒼穹のファフナーをわたしも視聴する約束をした。
友人はファフナー好きが高じて尾道に頻繁に出向くようなガチ勢である。

また、それとは別の友人が最近装甲騎兵ボトムズに興味を抱いていたことや、高校時代の友人がアニメのトランスフォーマー好きだったことを思い出したり、ロボアニメって思ったより日常に潜んでいるのだなとつくづく視野が広がった思いである。


ファフナーの感想文を書くかどうかは未定だが、これからもなにかしらの感想文を書き続ける所存。
何もかも未定だが、待て!次回!



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*1:最近格ゲー系のe-sports動画をよく観ていたのだが、格ゲーとガンダムファイトとのバトル構造に通じる所があったので相互補完がはかどった。

*2:Wを腐してるわけではないので悪しからず。あっちの人たちのわかるようでわからない言動も五里霧中感もあの作品の醍醐味だった。

*3:アムロやシャアの登場する世界観にある一連の作品を宇宙世紀もの、それ以外をアナザーガンダムと呼称するらしい。

*4:わたしの性癖を決定づけた最強にして最凶のメカ。酔い止めを飲んだら名作ゲームPortalをやろう!

*5:ガンダムW感想に登場した例のガンダム伝道師。30代妻子持ち。

*6:そもそも今まであまり作中でメイン登場人物の死に遭遇することがなかったかもしれない。ぱっと思いつくのが『吉里吉里人』『逆転裁判』『魔人探偵脳噛ネウロ』くらいしかない……

*7:本ブログ「茶箪笥のモリタート」はそういう意味で1番好きな作品である戯曲『三文オペラ』の劇中歌、「メッキーメッサーのモリタート」からとっています。登場人物全員クソ。

続・新機動戦記ガンダムWを観た話

はい。
後編はキャラクター所感やメカ、細かい好きなシーン語りになります。

前編はこっち↓
3monopera.hatenablog.com

以下、前編に引き続きネタバレフルスロットルなのでご注意されたし。



個性的な登場人物たちについて


ガンダムWの売りといったらまず何より5人の美少年主人公である。
美形揃いのガンダムWが当時ものすごい女性人気を獲得したらしいというのは当時を知らない私でもよくわかった。
そしてビジュアルだけでなく、登場人物全員インパクト大の個性派ぞろいというネタ的人気も高い。


つまりはキャラクターがめちゃくちゃ魅力的なのだ。
かっこいいキャラがそれぞれに個性を光らせながら一騎当千の大立ち回りをするのなんて老若男女中2病みんな好きでしょ多分。

あとは女性陣の活躍も作中かなり多い。個性派ぞろいの女たちが戦場に政治場にと大活躍である。
わたしは強い女が大好きなので、個性的かつ芯のあるW女性陣は最高だったと声高に主張したい。
最高!!!!!


そんな個性派揃いのW登場人物たち、言動が奇天烈な割にビジュアルや髪色がめちゃくちゃ普通なのである。*1
突飛な人物のわりに舞台設定やビジュアルが地に足ついてるアンバランスさ、凄くイイと思います。
こういう一見真面目なビジュアルがWのシリアスな笑いを助長してるなと思う。

そんなこんなで以下メインどころと好きなキャラについて所感を語っていく。

無口な工作員にしてシリアスな笑いの申し子。そしてセンター主人公。
主人公のわりに(だからこそ?)終盤までスタンドプレーが目立つうえ破滅願望バリバリだった。
Wはそんな彼の人間性の再生も大事なファクターだったと思う。彼自身もよくわかってない彼の心がリリーナや仲間との交流、混迷する戦いに身を置く中で徐々に回復していってよかったな……としみじみした。
EW版ではTV版のいっぱいいっぱい感が軽減され、仲間たちを頼るし会話もするし戦闘の勢いとはいえ弱音も吐露するようになっていて成長?回復?に感動した。
彼のテーマソングがかっこよくて好きなのだが、そのタイトルが端的に彼を表現していると思う。
「思春期を殺した少年の翼」
思春期は「失った」のでも「無い」のでもなく、あくまで「殺した」ものなのがやるせない。


こんなノリで書いていくと終わらないので以下はもうちょい簡潔に行きたい。

  • リリーナ

鉄砲玉みたいな行動力を持つ弾丸お嬢様。
サンクキングダム創設時はその思想にウ~ン……という気持だったがその後の彼女が無力さや思想の矛盾への葛藤に苦しみながらも足を止めない姿に手のひらを返した。綺麗事と自覚してるかどうかは大事。
己の血に翻弄されながらも逃げず、思想に敗北しても道を諦めず行動し続けたリリーナ様は美しいぜ。
その原動力はヒイロとの出会いなんだろうな~と思うとエモだなって。

  • デュオ

本作において貴重なムードメーカーにして損な役回り担当。
必要なことだったとはいえ作中で3回も味方側から本気の腹パンを受けてて申し訳ないが笑ってしまう。
ノリは軽いし感受性も普通っぽく見えるのにコロニーへの想いと戦う覚悟は完全にキマッているから案外やべーやつなんじゃないかと思う。
敵地潜入時の立ち回りや台詞回しが全体的に洋画っぽいのが好き。

  • トロワ

謎の前髪を持つハードボイルドパーフェクトマン。
工作員としての能力はもちろん他人の心身サポートもできるすごい奴だが、サーカスとか敵組織に潜入した時は「敬語使った方がいいんじゃないかな……」と思った。
前髪の愉快さと身のこなしの華麗さと発言のハードボイルドさと内面のクールさが絶妙にマッチして味わい深い奴だった。
機体も含めて男性陣で一番好きかもしれない。

  • カトル

協調性はあるがたまに電波を受信するお坊ちゃん。
コミュ力もあるし家族も(当時は)存命だったし、まともそうな少年だと思っていたが怒らせてはいけない人だった。
どうか優しい心を失わず強く生きてほしい。
ゼロを作ったり暴走したりGチーム集結に助力したりEWではガンダムを廃棄したり回収したり、功罪入り混じりつつも要所要所で作品の山場を作った立役者。

  • 五飛

戦隊もののブラックみたいな立ち位置の一騎掛け担当。
大局が見えている人っぽいのだが如何せん暴走マシン感が強い。己の信ずる正義に真っすぐ過ぎる上に故郷が自爆したのでいっぱいいっぱいになってたんだろう。
EWのヒイロとの舌戦を観てつくづく真面目なやっちゃな……と思った。
その後の彼は憑き物が落ちたようだし就職先も決まったし良かった良かった。

  • 余談:5人について

便宜上仲間と表現したけどガンダムパイロットたちですら最後まで同じチーム!というより目的が一致したから共同戦線をしくって感じだったのが面白かった。
個人プレーじゃダメですぜ!という序盤に問題提起されそうな事態が表出して解決に乗り出したのが残り数話になってからだったうえ、チームプレーはその回限りだったのは笑った。笑っていいのか?
とはいえ、それぞれ自分の命を勘定に入れずコロニーのために身をなげうって戦っていることには何とも言えない気持ちになる。
学生時代、研究の一環でベトコンの少年とかを調べてた時期があったので戦争とか少年兵については変に気持ちを入れてしまった。
EW後はそれぞれの能力を活かしつつ日常に馴染んでいけるといいね。
わたしは一体どのポジションからものを言っているんだろう。

  • マッドジジイ共

イカれた見た目のガンダム製作者たち。
TV版を見ていた時は戦争に対する良識はもっている割に少年兵を育てているその倫理観の歪みにドン引きしてたのですが、実際ヒイロ以外は別にマッドジジイたちに幼い頃から少年兵として育てられたわけでもないみたいなのでそこは誤解してゴメンねという気持ち。ドクターJ以外は。
そしてマッドな研究者たちであることは間違いない。

真面目なのにやることなすことおもしれー男。
FEにも仮面の男枠ってあるけどもしかしてガンダムオマージュなのか?
トールギス初乗り時の(キュピーン)「死ぬな!このままでは!(確信)」はWでも指折りの面白シーンだった。
乗る機体も本人もカッコイイんだけどそれより先に面白いが来る。
彼の戦艦両断攻撃はド派手で大好き。

  • トレーズ

エレガントなカリスマにして作品の混乱のもと。
わたしはEWを観るまでずっと「何でノベンタ元帥を謀殺した!?」と頭を抱えていた。
この人、エレガントで意味深な言動に惑わされそうになるけれどよく見ると五飛との決闘後あたりから戦争に対する考え方を変えているのだ。
それを見落とすと意味深なエレガントさにより混乱の渦の中へ一直線である。
なにはともあれ、非常に魅力的な敵役だった。

  • レディ・アン

どこまでも一途で苛烈な暴走特急強肩レディ。
序盤の暴走はヤバいとしか言いようがないが気持ちのいい過激さで嫌いになれないイイ悪役だった。
髪おろしたレディは最高にマブい。コロニーのメガネモブ男に名乗った時は「ドュホ!?」みたいな声が出た。わたしもマブいスケにあんな自己紹介されてえな~。
ビジュアルが好き部門No.2

  • ノイン

ゼクスに会えない日々を指折り数える恋する軍人。
初登場時の「ゼクス、私に甘えに来たまえ」というセリフとゼクスの電話中に背中合わせで鞘うちするシーンのエッチさに大興奮してた。
女性陣では一番MSでの活躍が多い。白トーラスかっけえぜ。
あとプリベンダーのブルゾンが超似合ってて超好き。ビジュアルが好き部門No.1

  • サリィ

元軍医とは思えない行動力の頼れるおねえさま。
数少ない終始ガンダムパイロットたちの味方として奔走していたキャラで、わたしは登場のたびに「好き……」と呟いていた。
後述するがヒイロに爆弾処理を依頼した時の「自慢したいのよ」から始まる一連の台詞大好き。リリーナとはまた違う意味で彼女もガンダムパイロットという存在に一目惚れしたんだろうなと思った。

  • ドロシー

宮廷道化師ポジションの不思議眉毛少女。
リリーナの理想論に対する彼女の反証が無ければわたしはあの思想を受け入れがたかったと思う。作中繰り返されたリリーナとのアウフヘーベンは大事なファクター。
発言は終始ぶっ飛んでいたが、その言葉の真意とそれを吐露した時の絶叫はしびれた。
作中一番好きなキャラ。


  • キャスリン

戦う力はなくとも強い女は強いのだと教えてくれたお姉ちゃん。
「死ぬのね(超理解)」は屈指の笑いどころ。そこからの戦場乗り込みコックピット乗り込みグーパンチは最高だった。
声も見た目も振る舞いもめっちゃ可愛いので私は彼女が登場するたびに「かわいっ……」とツイートしていた。
が、記憶喪失トロワに自分をお姉ちゃんと教え込んで庇護していた事実は正直ちょっと怖かった。

敵艦に単騎乗り込みかけた特攻マインドガール。
作品では珍しい普通のかわいい女の子だと思って穏やかに見てたら最後に敵艦単騎乗り込みかけてビビった。
そういや君も元とはいえ志願兵だったね……
EW見た感じデュオとうまく行ってるようなのでゼクスノインコンビに次ぐ勝ち組カップルって感じである。

  • モブ兵士たち

どこの所属にせよ騎士道精神や武士道を持ち合わせた奴らが多く、そうでなくとも死を恐れず戦う身も心も軍人!みたいなやつらばかりだった。
まあ弱きをくじく簒奪者もいるにはいたけど末端はそういうもんだ。当然当然。

そんな意識の高いモブの中でも特に好きなのはOZに懐柔されたコロニーの人々の目を覚まさせるためならコロニーとともに撃ち落されてもいいとのたまったおじい様とその孫。
主砲はそれたためそのコロニーは無事だったけど覚悟が高潔すぎる。しびれた。

あの世界の戦場に出た者たち、妙に心構えが高潔というか自らの命すらも駒として戦っていてスゲ……ってなる。
トレーズの「無駄な死など一つもなかった」という発言は、その前に発した例の発言とこれまでに登場した高潔なモブたちによってものすごい説得力になったように思う。

EWの立ち上がる民衆も然り。
ずっと大局に流されていた民草たちが叱咤激励やリリーナ様のサンクキングダムの下積みありきとはいえ平和のための武器を持たない戦いを始めるあたり、あの世界相当に民度が高い

というかEWの大団円に持っていくにはこのくらい民度が高いのが絶対条件だと思う。


メカについて


人物だけでなく、登場するガンダムや量産型モビルスーツも人気が高いと聞く。
わかる。

主人公機は5機ともそれぞれの個性と格好良さがあってよかったし、ライバル機となるトールギスの中世の騎士的ビジュアルとガンダムの前身機であることも納得な武骨さや、エピオンのいかにもライバル機!って感じのカラーリングと装備も良かった。
エピオンのあの中2心を揺さぶる格好良さはなんなんだろな……

中2心と言えばデスサイズヘルって名前も好き。デスサイズでヘルだぜ。
ステルスで隠れて接近し、意表を突いていいタイミングで登場するので要所要所の演出もニクい。


そんな個性あふれる味方機ライバル機含めた機体の中で一番好きなのは、前編でも少し言及した通りヘビーアームズです。
開幕ミサイルぶっぱで面の制圧を狙う脳筋戦法最高!
色合いはTV版が好きだけど両手ガトリングのEW版もイイ。フルアタックはロマンですぞ。
ミサイル打ち終わったら片手のナイフしかないらしいんだけどそれはそれで潔い。
ビームサーベル一本くらいつけといてもいいんじゃないかな……


量産型はリーオーもシブいがトーラスエアリーズが好き。

トーラスは線が細くて洗練されたデザイン感が好き。MDの第一弾だったからこそのシンプルさというか。
MD後継機ビルゴのマッチョ感も好きだけどね。ビルゴはバリア貼れるから的が大きくても無理がきくのかな~とか二機の違いを比較するのも楽しい。
MDはいかにも無機質というか、無人機っぽい空恐ろしさを感じてナイスデザインだと思う。
ノインさんの機体はそんな感じしないから色合いって大事なんだなって。


エアリーズはあの飛行専用っぽい脚の貧弱さジェットが付きまくったずんぐり上半身のアンバランスさに愛嬌を感じる。アンバランスは人を惹きつける。
機械なのに生物的な進化退化の名残っぽいものが見えるの、なんだかとてもフェチです。
あの噴射口たちは全部違うベクトルを向いてるから空中で出力を変えて自在に動かすのかな〜とか思うとロマンだよな。

操縦は大変そうだけど乗るならヘビーアームズかエアリーズがいいな。
一点特化型が好きなのかもしれない。


あとは何より我ら(?)がセンター、ウイングガンダムウイングゼロ
なんだかんだ一番最初におっ!と思ったのはウイングの飛行形態からモビルスーツ形態へのトランスフォームだった。
あの直線の機械的な羽もかっけ〜ぜ。
そしてガラッと羽のデザインが変わったEW版。初見ではその羽の形状にビビりちらした。

その羽どうしたゼロ!?!??

まあでも見てるうちに段々「ええやん……」と思いはじめました。
特にEW最後のボロボロになって崩れ落ちるさまはあの有機物的な羽によって朽ちていく美しさを絶妙に醸し出していたというか……

直線的な無機物のガンダム有機物的な曲線で出来た羽という組み合わせってなかなかに冒険的デザインなんじゃないかと思う。
すげえぜ。


そんな感じで終始ロボのビジュアルと活躍にキャッキャしていた。
素人目線なので詳しいことはわからんけど楽しいからヨシ!

もともとメカは好きなので*2、アニメで動くメカたちを眺めていたらガンプラが欲しくなってしまった。

営業さんにガンプラについて聞いたところ、ゼロの派生?がエグいくらいあることしかわからなかった。アーリー?プロト?カスタム?
とりあえず新しく出たゼロがおすすめらしいので今度電気屋とかに見に行こうと思う。あるのかね?

20も後半になってガンプラ始めるのもどうなんだ?
どうしようもないよ。(自問自答)


好きなシーンの列挙


戦闘シーンとか細かいものも挙げてくときりがないので絞りに絞って、TVとEW合わせて特に好きなシーン10選!
10選に含め忘れたけどヒイロガンダム自爆シーンも好き。カメラワークの気合いの入り方がすごかったね。
多分時系列順。

  • サリィがヒイロに爆弾処理を依頼するシーン

「自慢したいの。爆破阻止をやってのけるヒイロ・ユイを知っていることを。」という全面的に主人公を信頼しているサリィさんのセリフがすごくイイ。
いろいろやっちまった感の漂う空気の中、とにもかくにもやらなきゃならん事を示されてヒイロも視聴者もちょっと救われたと思う
あと爆弾処理はアクションスパイもの(?)の醍醐味なので見栄え的にも好きなシーン。
サラッと流されるが力の入らなそうな体勢で鉄格子を粘土の如く捻じ曲げるヒイロのゴリラっぷりにしびれた。拙者ギャグみたいなレベルの怪力キャラ大好き侍。

  • トロワがバイクで車を撒くシーン

ヒイロとトロワがノベンタファミリーへの謝罪行脚帰りにつけてきたOZ?の車を撒く一連のアクション。
一瞬で調達した赤いバイクで華麗に路地を抜け、バイクを乗り捨て、3回転半(くらい)をキメて物干し糸に着地(着糸?)し、糸の上を歩いて立ち去るトロワが死ぬほど面白くて好き。
その後に落ち合った倉庫でヒイロが林檎を投げるのも含めて完全に洋画。
ああいうクールな面白スパイアクションノリは楽しくていいよね。ガンダムとは?

  • デュオとカトルが宇宙に戻ろうと飛行場に攻め入るシーン

敵の物量に圧倒されあわやこれまでか!?というところで、俺たち良いことしようとしてるはずなんだけど何でこうなるんだろな……とボヤくデュオ。
そこに「それは俺たちが正しいからだ!!!」と答えながら颯爽と登場したシェンロンガンダムと五飛!まさか五飛が助っ人に来るとは思わなかったので「うおー!!!!」と叫んでしまった。
凹んでる時に自分たちは正しいと断言しながら助けに来てもらえることほど心強いこともそうなかろう。
その後のサンドロックの自爆もよかった。組み込まれたシステムだとわかっていてもガンダムパイロットの繋がりのようなものを感じられるイイシーンだった。

  • サンクキングダムでヒイロとリリーナが再会するシーン。

ジェット機から降りてくるヒイロに何も言わず、手すりに頬杖を突きながら不敵な笑みで見上げるリリーナ。
年相応な、勝気な少女って感じの出迎えが可愛すぎて最高だなって……
そしてそんな表情を出せるのはヒイロの前だけなんだよなあと思うとやるせない。何度も言うがやるせない。
世界の平和とかいろんなもんを背負うことになるリリーナ様のこんな表情が見られたのはEDを除いて後にも先にもここだけなので大事にしたいなと思いピックアップした次第。

  • ヒイロロームフェラ財団に潜入しクイーンリリーナを暗殺しようとするシーン

暗殺された伝説の平和論者ヒイロ・ユイの名をコードネームに持つ少年が、新たな平和的指導者として祀り上げられる少女の暗殺を目論むのがドラマチックかつ運命的。
このシーンの何が好きって、平和論者(ヒイロ・ユイあるいはノベンタ元帥)の暗殺という繰り返されてきた負の連鎖を断ち切るという未来への確かな一歩を踏み出した点である。
その後もゼロシステムに飲まれてコロニーを破壊しそうになるトロワを止めるカトルなど、それまでに起こってきた過ちが繰り返されるのを未然に防ぐガンダム勢が見られるわけだが、その契機はおそらくここだと思う。ヒイロの迷いがようやく消えたのも。
そしてリリーナの完全平和主義が受け入れられたと思った次の瞬間に「そうそう簡単に争いの連鎖は止められませんぞ~www」とでも言いたげにコロニー革命軍ホワイトファングが登場するシナリオの念の入りようには感心する。

  • カトルとドロシー一騎打ち

出撃Gチームでのドロシーとのゼロシステムによる擬似バトルを経てのフェンシング一騎打ち。
TV版でいちばん好きなシーン。
学園での一時的な交流でしか面識がないだろう2人がお互いの名前を言い当て合った1回戦ゼロシステムバトルはめちゃアツかった。
そして2回戦フェンシング。
奇抜な発言の目立つもののいまいちその真意がわからなかったドロシーの内面を激情のまま吐き出す相手が、同じく父を戦争で失ったカトルというのが絶妙だな~と思う。
苛烈にならざるをえなかった優しい女の子と一度は道を踏み外しかけた優しい男の子という対立関係、最高だぜ。

それはそれとして事が終わって助太刀に来たトロワが最後に「悲しいな、泣くことの出来ない女は……」と言ってドロシーを置いて去っていくのは爆笑した。
トロワの「女」について言及する発言が一々ハードボイルドで笑っちまうんだ。

  • 地球をバックにしたゼロとナタクのバトルシーン

戦闘シーンいいよね。いい……
戦闘はもちろん、平和を信じようとするヒイロと変わらない世界への憤りをぶつける五飛の舌戦もいい。
戦争って終わればそれで済むもんでもなし、そこまで尽力してきた兵士や兵器をあっさり手放すことは正義なのかという五飛の投げかけも真っ当である。
それを受けての過ちを繰り返さない為にも世界を信じてみろと言ってのけるヒイロの成長っぷりよ。
「教えてくれ五飛」から始まるヒイロの台詞も身につまされるものがある。
ヒイロの殺しきれなかった人間性はもう限界だったんじゃよ。

  • ドロシーが民衆を焚きつけるシーン

「私の知っている男たちは、墓の下か、あの中(戦場)にしかいないわ!」
最高。なにより台詞が格好良すぎる。
TV版のドロシーが絶望するくらい徹底的にやらないと終わらないと言ったとおり、また戦争を始めようとする人類。
そこでドロシーがやっぱり繰り返すんじゃん!民草は愚か!と絶望するのではなくて民衆を信じて焚きつける方向に舵をきったの、成長だな〜と嬉しくなった。
登場したトラックでゴールデンなのは一台のみなの、自家用トラックとその他調達してきたトラックなんだなとリアルが感じられてなんか面白かった。

  • リリーナが倒れるヒイロを抱きとめたシーン

あまりうら若い少女に母性を押し付けたくないのだが、「終わったわね、やっと……」と優しい声で語りかけ気を失ったヒイロを静かに抱きしめるリリーナ様には思わず「ママ……」と口ずさんでしまいました。懺悔します。
あの時の二人の優しげな顔(片方失神してるけど)と、TV版とは打って変わって静かな決着がやけに印象深い。
少年少女の一年は長いし重いよなあ。
思えばこの二人がしっかり触れ合っているシーンてTV序盤のダンスとこの時くらいしかない気がする。それどころか一緒の場面にいるのもそこそこ珍しい。なんと硬派なカップルか。

  • Gパイロットたちがそれぞれの戦後を歩むシーン

とりわけ雑踏に消えるヒイロはいい終わりだな~と思った。
五飛への心情の吐露や「もう誰も殺さなくて済む」といって気を失った彼を見て、戦いたくないけど状況と能力と責任感がそれを許さなかったんだろうなと考えると、あのラストシーンは彼にとって最上級のハッピーエンドって感じでしみじみする。

そしてただの一般人として雑踏に消え行くラストが良かったなと思う反面、その場合リリーナとは一緒になれないよなあとも思う。
リリーナが表舞台に立つ以上ヒイロが一般人でいられるはずもないと思うのでどうにもね。
リリーナ様には妥協する道を進んでほしくないし、ヒイロヒイロでだいぶ精神の限界がきてたので無理はさせないほうがよさそうだし……
歩む道は違えどもお互いの存在を支えに道を突き進む感じがベストなのだろうか。

私の好きな漫画*3に、ある事件をきっかけに惹かれあうも刑事と犯罪者の親族という関係になってしまったために結ばれることのなかった男女がいたのだが、その決別のセリフが「刑事を辞めるつもりはないからお互い老後に」というものだった。

あの覚悟とやるせなさがめちゃくちゃに好きなので、この2人に似た空気を見た私は苦しみと喜びを同時に抱いたのだった。


その後ぐぐったらWには続編?小説があるらしく、そこでは2人が結ばれるハッピーな結末だったらしい。
のだが、2人は冷凍睡眠で数十年眠っていたとか、またガンダムが登場したりとか映画のハッピーエンドがいろいろ台無しな気がするアレだったので諸々見なかったことにした
モビルスーツが2度と登場しない世界で普通に皆と同じ時を歩んでくれ。
営業さんも映像化されたもの以外は正史とはちょっと違う扱いって言ってたし!
宇宙世紀だけの話かもしれないけど!!!


最後に


ちなみにこの前後編にわたる記事は営業さんに送った感想文をもとにして書かれたものだった。主に後編。
そしてそれがいつの間にか2倍くらいに膨れ上がっていた。こわ……
こんなに長文を書いたのは修論以来だぜ。
そして書くのに1ヶ月以上かかったぜ。

しかし、感じたことや思ったことを出力するバイタリティを失った社会人がこのように約2万字に至る長文感想を書き上げるくらい楽しい作品と出会えるなんてなかなかないことだと思うし、非常に得難い経験だった。
貴重な出会いを提供してくれた営業さんには感謝感謝感謝である。

しかし疲れるものは疲れる!
これを機にアニメを観る習慣が生まれたりだとかガンダム全作品制覇してやらぁ!だとかにはならない。
大人って悲しいね……


ただ、本作以外にも惹かれる作品は複数出来たし、いつか観たいという思いは生まれたので案外アニメに対するフットワークは軽くなったのかもしれない。
そしてそれに関する感想文もいつか書かれる時がくるかもしれない。

いつになるかわからないが、待て、次回!



追記:Gガンダム観ました。書きました。
3monopera.hatenablog.com

*1:一部前髪が凄かったり眉毛が凄い人もいるにはいるけどキャラクター的アイコンってことで一つ……

*2:わたしの無機物フェチはフラバーのヴィーボで種をまかれ、PORTALのグラドスで芽吹いた。

*3:『ROUTE END』。派手さは無いがめちゃくちゃ好きな作品。ラストこそ賛否別れる結末だが、犯人の種明かしに向かってゆく表現力とカタルシスは一級品。

新機動戦記ガンダムWを観た話

はい。


ひょんなことから会社の営業さんにガンダムについてプレゼンされ、
新機動戦記ガンダムW(1995)テレビ放映版全話(49話)と、
続編の新機動戦記ガンダムW Endless Waltz」を視聴した。

こういったテレビアニメをちゃんと視聴するのは人生で2回目だったのだが、めちゃくちゃ楽しめたので感想やらなんやらを語りたいと思い久しぶりに筆をとった。


そして思った以上に語りたいことが多く文字数が膨れ上がったため前編と後編に分かれてしまった。
前編では主にシナリオについての感想、後編ではキャラクターと好きなシーンについて書いていく。
キャラとかその辺の感想だけ見たい人は後編へ↓
3monopera.hatenablog.com


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ちなみに人生で初めてちゃんと通して視聴したアニメはGo!プリンセスプリキュアです。
プリンセスプリキュアはいいぞ。




■第一話視聴までの道のり


きっかけは本当にひょんなことなので省略する。
とにかくガンダム好きの人間(会社の営業さん)にガンダムWを見てほしいと言われた。

シリーズが好きなら初代を布教するもんじゃない?と思ったが、もし自分も人にファイアーエムブレムを勧めるなら初代を出すかと言われると微妙である。まあゲームはハードやシステムの壁が大きいから同じ土俵で比べるものじゃないな!


とにかく、おそらく営業さんの趣味を全面に押しだしたのだと思われる。
話をきいたところ平成三部作(?)のGガンダムガンダムWガンダムXが大好きらしい。ガンプラの写真も見せてもらった。
多分彼のリアルタイム視聴時代がその辺なんだろうと思う。
どうか1話だけでも観てほしいと頼み込まれ、私は渋々その週の終わりに無料公開されていた1話を視聴した。

ぶっちゃけるとこの時点ではアニメ視聴にあまり乗り気ではなかった。先述の通りアニメを観るという習慣が自分になかったためである。
適当に観て、申し訳ないが合わなかったと謝って話を終わらせようと思っていた。


■即オチ2コマ~第一話の感想~


小題の通りである。
新機動戦記ガンダムW第1話、観てみたらめちゃくちゃ面白かった。


5人の潜入工作員と5体のガンダムが秘密裏に地球に投下されるという始まりがまずアツい。
特殊工作員によるスパイアクションぽいノリもベタベタだけどそれがまた楽しい。

ガンダム5機もそれぞれ個性が出ていて面白かった。
1話の活躍は一瞬だが、一目で機体とパイロットの個性が感じられるのはいい事だと思う。
ヘビーアームズの銃火器フルアタックが浪漫にあふれてて好きです。
あと主人公機ウイングの飛行形態からモビルスーツ形態へのトランスフォームも好き。メカの変形は浪漫。
クルってなるだけでもテンション上がる。

しかしこの秘密裏の作戦が初手から敵側にバレていて、見せ場はあれども開始10分程度であっけなく墜落する主人公機には驚かされた。
その後も主人公(ヒイロ)がヒロイン(リリーナ)に顔を見られて自爆しようとしたり、救急車を奪って逃走したり、リリーナが救急車で逃走するヒイロを見ながら一人で自己紹介したり、後日学園に転校してきたヒイロに自身の誕生日パーティーの招待状を渡したり……

振り返ってみれば筋は通っているような気もするが、まだ1話だというのにあまりにも密度の高いエキセントリック急展開の連続に圧倒されてしまった。

そして何より最後の引きが途轍もない。一部ではとても有名なシーンらしいが、それもうなずける圧倒的なインパクトだった。
私はアレで大爆笑し全話見ることを決めた。
興味のある方はネタバレを見ずぜひ視聴してほしい。
すごかった。すごい。


ジェットコースターのようなスピーディーな展開と大真面目にブッ飛んだ行動を見せる登場人物。
そして最後の引き。
第1話としてとして天才的な構成だったと感じた。

あと作中でかかる曲がすごい好みだった。
いい意味でゲームのバトルBGMぽい感じ。
盛り上がりどころでデンデンとアップテンポの曲が鳴ると気持ちが昂ぶる。


余談だが、W1話視聴後に盛り上がったテンションのまま個人的に気になったGガンダムの1話も観た。
こっちも絶対好きな話とノリだと直感したので年末年始にでも観ようと思っている。
わたしも指パッチンしながらガンダム召喚してえな~

更に余談。
週明け、営業さんにそのことを報告すると非常に喜んでくれ、こちらにだけ要求を飲ませるのも忍びないからと何か自分にも勧めて欲しいと言ってきた。
彼の奥さんがWiiUを持っているのを知っていたのでバチャコンで買える自分の好きな昔のゲームを勧めたのだが、今考えるとそれこそプリンセスプリキュアを勧めればよかったような気もする。


■作品について


そんなこんなで11月の三連休を丸々使い、全話視聴に至った。*1
劇場版?OVA?よくわかってないがその続編であるEndlessWaltz(以下EWと呼称)も次の週に観た。
一話ごとに目まぐるしく変わっていく情勢やバリバリに個性的な登場人物たちから目が離せず、最後まで楽しく視聴できた。


テレビ版の最終話の時点で綺麗にまとまったな~と大満足だったのだが、EWでその上をいく大団円を迎え、視聴後は一言「よかった……」としか言えず放心してしまった。

自分が普段触れる作品が作品なので*2ハッピーエンドやエンターテイメントに弱いのだと思う。
ヌルいと言われようとなんだろうと、たまにはこういう完全無欠のハッピーエンドもいいもんだなと感じ入ってしまった。


あとOPとEDも出来が良くて見ていて楽しかった。

効果音がドゥルドゥル鳴るOPは初めて見たけどPVみたいで面白いし格好良い。
1つ目も好きだが2つ目のOPのガンダム起動!発進!アップ!アップ!ドアップ!の流れがめちゃ熱くて好き。
ヘビーアームズの謎の斜め軌道ミサイルも好き。

EDはリリーナの勝ち気で無邪気な、年相応の女の子って感じがイイ。
彼女は己の血と運命に振り回され大人にならざるをえなくなるので後半になるにつれEDとのギャップに少し切なくなった。


■あらすじについて


以下は軽いネタバレを含む感想になるためご注意されたし。
二十数年前の作品、しかもこんな場末のブログでネタバレに配慮する意味もないと思うのだが気持ちの問題ということで。


大まかなシナリオとしては平和を目指す手段や方法における主義主張のぶつかり合いだと考えればだいたいあってると思う。
超人たちのロボバトル要素もありつつ、話の主軸はどちらかと言うと戦争と平和についての政治的主導権争いのほうにある気がする。

物語は宇宙に住む人(コロニー居住者)と地球の軍事組織(地球連合)が敵対して(というか地球側が一方的に武力で宇宙側を制圧していて)一部の宇宙側の人間が対抗策としてガンダム及び工作員たち(主人公5人+ガンダム5機)を地球に送り込んだ、というところから始まる。
括弧が多い一文だ……
とにかく、これについてはアニメ冒頭のナレーションがすべて。


しかしこの作品、ずっと地球対コロニー及び地球連合対主人公たち、という対立構造で話が進むわけではなかったりする。

戦争の主導権を握る組織が次々と変わり、組織内でもトップがすげ変わったり思想や方針が変わったり、主人公たちは主人公たちで序盤は内ゲバはじめたり敵の敵は敵理論で敵対組織だった人間と一時共闘したり、コロニー側に切り捨てられたり……と状況はどんどんと変遷していく。


そんなこんなで敵も立ち位置もめまぐるしく変わっていく本作品、タイトルをググったら「ストーリー めちゃくちゃ」「意味不明」というサジェストが出てくる。

途中で監督が変わるなんてこともあったらしく、個性的かつ魅力ある登場人物には一定の評価はおけるがシナリオについてはめちゃくちゃ、中盤以降は現場の混乱が伺える怪作という評価っぽい。

まあ怪作は怪作だと思う。
序盤とそれ以降でノリが結構変わるし、ストーリーも中盤以降は五里霧中!という状態が長いし、勢力の変化が目まぐるしいのでめちゃくちゃといえばめちゃくちゃかもしれない。


でも。でもである。
物語的面白さやインパクトを失わないようにしながら戦争と平和に対する思想や方針、混迷し変化していく情勢、立場を変えながら進んでいく登場人物たち、などを適当に流さず最後まで書ききった本作は一定の評価をうけてもいいと思うんだよなあ……

この辺は新機動戦士でなく新機動「戦記」である所以なんじゃないかなと。
ロボットバトルものでありながら話の軸がどちらかというと政治活劇っぽかったのがだめだったのかね。

なんか色々言ったけど深く考えなくてもキャラクターの個性と勢いで楽しめるし、深く考えようと思ったら色々考察もできるいい塩梅のアニメだったと私は思うわけである。


■中盤以降の迷走という評価について考察


そんなこんなで思うところがあるのでその評価が下されるに至った中盤以降についてちょっと考察したい。


評価の高い序盤は戦況に懸念事項こそままあれど、敵対組織がはっきりしておりそこそこ明瞭なストーリー展開であった。

しかし序盤から中盤に入るあたりで、先述の通り味方も敵組織もその基盤が大きく揺らぐ。
地球連合の平和主義だったトップが罠によって殺されて裏方だったOZが台頭し、コロニーはガンダムを切り捨て主人公たちは孤立し……さらにその後も戦況は二転三転していく。

組織内にしても内部抗争にトップのすげ替え、意図せぬ方向に暴走する兵士たち……とかなり生々しい。
コイツを倒せば万事解決!みたいな簡単な状況でもない。
そんな混迷の中、自分の立ち位置も覚束ない主人公たちは懊悩しながらも戦い、己の信ずる平和のためによりよい方向に進もうとあがいていく。

というわけで、応援すべき主人公たちすらどういう方向に向かうべきかわからず転々とスタンスを変えて迷走するため多分視聴者も身の置き所がわからなくなるのだと思う。

それぞれ確固たる方針を見つけるのは終盤に入ってからである。
つまり迷走は20話くらい続く……
彼らは能力がなまじ高いからそれぞれ単独で行動できてしまい、味方という味方もおらずずっと不利な状況だというのも息苦しさを加速させるのかも?


主人公5人の迷走について、とくにヒイロはEWを見るに「迷子」がキャラ造型の根本にあるっぽいので描き方としては正しいと思うのだ。
そも、懊悩する主人公はハムレットから続く近代的自我を持つ主人公の定番の人間像である。

じゃあ何が駄目だったのかって?
作品形態と作品の中盤以降の方向性との相性が絶望的に最悪だったってところじゃないかな……

本作は群像劇的描かれ方をしている。
ずっと一人の心境に焦点を置くことはできないのだ。
複数いる主要人物たちの1人1人の心の動きを追っていくには週に1話しか進まないアニメーション作品はあまりに不利である。1回にフォーカスできる人数なんて限られているし、アニメなのに動きのないメンタル面だけをずっと書くわけにもいくまい。

それにガンダムって子供向けアニメにしてホビー販促アニメのはずだから、毎話ロボの見せ場を作るノルマも絶対あるはずなんだよね……わたしプリキュアで学んだもん……
尺が割けても短時間だし、バラバラに行動しているから一つの陣営をフォーカスしている間の他陣営は数週間放置……

視聴者が状況を追えないし忘れてしまうのもやむなしである。


逆に私がWを終始楽しめたというのは

・中盤の混迷パートが長い
 →一気に見たことで溜めに対する長さをそこまで感じなかった

・情勢も主人公たちのスタンスもどんどん変わるから訳がわからない
 →上記に加え、壁打ち用のTwitterアカウントで感想を垂れ流していたため情報を整理しやすかった

という感じでうまいことストレスポイントをスルー出来た点が大きそう。


まあでも再度主張するが
情勢の変動を書き、
登場人物たちの内面やスタンスの変化も書き、
平和という難しいテーマを主軸に据えてその対立する主義や方法についてそれぞれの問題点や矛盾点を書いた
という真摯さはちゃんと評価すべきだと思う。
その上で最後は話を綺麗に着地させたのだ。私は見ながら感心してた。
本当にいい結末だった。
話の決着はもちろん、ラストの締め方は百点満点でニコニコした。

更にEWは現実ではありえないくらいの大団円になるわけであるが、きれいごとでは済まされない戦争という異常事態を、物語の中でしか実現できないようなきれいごとへ持っていくための説得力は、この失速?低迷?する中盤にあったと思うのだ。
私はあの2歩進んでは3歩戻るような苦境が無ければちょっとうまくいきすぎでは?とひねくれた見方をしてしまっていたはずだ。
積み重ねって大事。


それはそれとして序盤のシリアスな笑いてんこ盛りハイテンション破壊工作アクションパートはめちゃくちゃで楽しかったし、終始あのノリを期待していると15話くらいからノリが違うじゃん!!!!!と言いたくなる気持ちもわかるっちゃわかる。

さっきまでうだうだ語っていたがぶっちゃけこの点が一番大きいと思う。
ポッピングシャワーを食べていたのにいつの間にかパチパチする大納言あずきアイスになってたみたいな。

展開の奇天烈さは鳴りを潜めても登場人物たちの奇天烈さはそのまんまなんですよ。
味は違うのにめっちゃパチパチする……

話の息苦しさを登場人物たちの個性で緩和してて楽しいと思うけどね。
それは無茶だろ……みたいな展開もあの奇天烈な人たちだからしょうがねえな!と思えるし、まさしくアニメ的で好き。
ああいうケレン味は文章になったとたん死ぬほど陳腐化するから映像作品の強みだと思う。
とは言えちぐはぐに感じられてしまうのもやむを得ない。大納言もおいしいけど食べ終わった後の感想はパチパチにすべて持ってかれるみたいな……

長ったらしくだらだら書いてきたが、

結論:私は楽しかった。

ということで。次の話題に移ります。


■EWによる戦いの決着


ここまで何度もEWのラスト最高!と主張してきたわたしであるが、なにがそんなに良いと思ったのか。

TV版で描ききれなかった、疑問として残った部分をきちんと補完しつつ、TV版の上を行く決着をつけてくれた点である。
当代の戦争の戦後処理だけでなく、戦争そのものの根本的な解決を描ききるとは思っていなかった。

MSが歴史に再登場することはなかった、と言い切れるのは宇宙世紀*3と別軸の独立した世界線だからこそできたことだろうし、上手く締めた!やったぜ!って感じだった。


無論TV版のみでも綺麗に纏まってはいたのだ。
迷子の死に急ぎマン・ヒイロは迷いを捨て「死なない」と決めた。
戦艦落としも阻止できた。
コロニーと地球は和平を結んだ。
リリーナはヒイロの出会いへの意趣返しを叶えた。コレは本当に最高の締めだった。

しかし解決したのはあくまで主人公たちの時代に起きた戦争だ。いつかまた戦争が起こる可能性は常に孕んでいる。
それが悪い訳じゃないし、物語の決着として最終回視聴後の私は十分に満足していた。
戦争根絶とかそういうのはぼかして終わらせるのが一番きれいだよな~と当然のようにそういうものと納得していた腑抜けた視聴者わたしは、逃げの部分と向き合ってその後の世界は平和になったよ!と断言するまで描き切ったEWにやられたぜ!と膝を打ったのだった。


それともうひとつ。
TV版で一つだけ、主人公たちガンダムの必然性がなかったことについてが気になっていた。
負の連鎖を断ち切り、戦争の終結と平和のために尽力し、多くの人の心を動かしたのはガンダムとそのパイロットたちである。

しかし「世界に平和がもたらされました」という物語の決着は、彼等やリリーナにしかできなかった事という訳でもない。
謀殺さえなければ地球連合のノベンタ元帥がもっと早くに成していたかもしれないことだった。

それが彼らでなければならなかった答えは作品のキーワードでもある「敗者」という部分にありそうというところまでは至ったのだが、その敗者ってなんなんだ?というのがどうにもわからなかった。
作中においてガンダム勢は圧倒的な能力を持ちつつも数に押されて常に敗走続きであった。「負け続ける戦いは得意」と自虐するレベルである。
これの意味するところをなかなか見出だせず頭を悩ませていたのだが、その「敗者だからこそもたらせたもの」が何なのかをEWにて見ることが出来たのだ。

TV版で頭を悩ませていた部分に明確な回答を出されて私はもう大喜びだった。
脳内補完でこじつけて自己完結するのは得意だが、やっぱり作中で答えを出してもらえるほうが収まりがいいもんな。


つまるところ、一人の実力者によって主導される平和など脆いものなのだ。その人がいなくなった瞬間瓦解するのだから。
それは既に作中20年前の真ヒイロ・ユイ暗殺事件でわかっていた通りである。

民衆は鮮やかな勝利者や指導者についていくけれど、一人のカリスマに依存した平和はその瓦解もまた早い。
戦力の縮小と廃絶を目指したノベンタ元帥も、トレーズの謀殺がなくとも改革の途中で連合の反対派や怒りの収まらないホワイトファングに暗殺されていた可能性もある。

そうしてまた平和は崩れ去り……と恒久的に覇権争いの戦いが繰り返されるわけである。
戦争・平和・革命というエンドレスワルツ。いや~うまい表現ですな。
ドロシー嬢がTV版作中で結果ではなくそこに行くまでの行為に価値がある、と言っていたのもまさにだと思う。
点としての平和は幾度もあっただろうが、その過程に何らかの変化がなければまた指導者が倒れ・革命が起こり・戦争がはじまり……という三拍子が無限に続いていくだけ。

その流れを断ち切るにはこれまでと違う何かが必要となるわけだが、それは時代の勝者やカリスマ的指導者による導きではなく民衆一人一人の自覚と行動だったと。

真に恒久の平和を目指すためには指導者に付き従うのではなく、民衆一人一人が立ち上がらねばならない。
そして民衆の蜂起は敗者に心打たれるところから始まる!というわけで。
その自覚を持たせたのは負けながらも平和のために戦い続けたガンダムだったという。

ガンダムそのものは忌むべき戦争の兵器だが、敗北を繰り返し時に虐げられながらも戦ってきたガンダムパイロットたちのその行為には平和に向かうための意味があったという結果はすごくいいな~と思った。

平和への方法論を模索したTV版のストーリーと負け続きのガンダム勢に最高の説得力を持たせた結論の持っていき方に私はひたすら興奮した。

夢のような話ではあるが、本当にきれいな終わりだったと思う。

まあなんか監督が途中で変わったんだし頑張って辻褄合わせたのかもしれないけど、創作作品で大事なのはいかに自然に後付けしていかに綺麗に風呂敷を畳むかなので……


ちなみにEWは映像ももの凄かった
ガンダムモビルスーツたちがヌルヌル動き、カメラワークまで凝っていて目が楽しいったらない。
めちゃくちゃ格好良かった。

個人的にはコロニーに潜入する際にサリィさんたちが放ったミサイルの弾道とカメラワークや、トールギスビームサーベルで宇宙船を切った時の熱で溶けて縮れる鉄板の動きが最高にフェチだった。

あと機体の蓄積した傷がちゃんと描かれてるのとか、ボロボロのゼロがバスターライフルの衝撃に耐えきれず自壊していくところとか……最高でした……
無機物の崩折れていくさまってもののあはれって感じでイイ。

シナリオも映像も素晴らしく、本当に見てよかったな~と思った。


好きなシーンについてなど、まだまだ語りたいことがあるがこの時点で相当長い!
後編に続く!
3monopera.hatenablog.com

*1:興味のある方はバンダイチャンネルを是非。初月無料で見放題だったよ。

*2:筆者は主に昭和文学、とりわけ戦後文学を好んで読んでいる。読んではいるが間違っても現代の娯楽作品的楽しみ方をするものでも綺麗な結末を望めるものでもないのだ。好きだけども。

*3:アムロたちの登場するガンダムシリーズの総称。Wはそれと違う世界線、いわゆるアナザーと呼ばれるものらしい。

ポケットモンスターとわたし

はい。


ポケモン最新作、ソードシールドが発売して二ヶ月とちょっとが経った今日この頃。
発売当初の身の回りを見ると久しぶりにポケモンに触れた、初プレイだ、というプレイヤーも散見され、ポケモンというコンテンツの息の長さと巨大さを感ずることができた。
ポケモンGOとかもすげえよな。


かくいう自分は当初プレイするつもりは全くあらず、発表当初はあっもうそんな時期だった?程度の反応だった。
ソードシールドというタイトルが発表されたときはギルガルド主人公か?ギャハハ!みたいなタチの悪い絡み方をしていた。猛省。


そしてソードシールド発売から一週間後。
そこには元気に寝ずのポケモンプレイをする筆者の姿が!
TLで楽しそうにプレイするフォロワーたちの呟きや、着せ替えやキャンプの画像が流れてきたらさ……遊びたくなるじゃん……
更にググったら金の力(5000円くらい)でミュウと冒険の旅に出れると知る。
ミュウと共に旅に出られる……なんと甘美な……
わたしはかわいい女の子をキャラメイクできる要素に弱いし、ミュウと触れ合える機会にも弱いのだ。


というわけで諸々の要素に興味が湧いてきたところに最初からミュウと冒険できると知ったのが決定打で、気づけばポチッからの当日配送からのレッツプレイだった。
Switchも持っていなかったので買った。
Liteのポケモン限定デザイン、色合いがファミコンのコントローラーみたいでかわいい。

ちなみに何を隠そう小学生以来遊んでいなかったポケモンをXY発売時に再開したのも今回と同じ2つの要素(着せ替え、触れ合い)に惹かれたからである。
主人公がかわいいし着せ替えられるしポケパルレで3Dモデルのミュウと触れ合えたから仕方ない。
その為に未所持だった3DSも買った。
歴史は繰り返す。


ポケモンソードプレイ所感

そんなこんなで久々のプレイとなったポケモンソードシールド、思った以上に面白かった。

サン・ムーン未プレイのため知らないポケモンも一気に増えて新鮮だったし、エンカウント方式がシンボルとランダムを織り交ぜてなんかいい感じになっていてよかった(語彙力の限界)。
とにかくワイルドエリアが楽しい。
それにミュウとカレーを作ったり戯れられるのが幸せで幸せで幸せで……
美味しくないときも困った顔で山盛りを完食してくれるミュウ……ミュウはこんなにちっちゃいのに大食いなんだね……飛ぶのも速いねかわいいね……
ミュウ……かわいい……もう離さないよ……

あとミュウロトム以来の推しポケが増えました。
ドラパルトドラメシヤちゃん、ヤバいかわいい。
あのちょっと間抜けな感じの表情と短い手足とまるぽて感がたまんねぇな……

ミュウはわたしの頂点で別枠だから置いておくとして、好きポケがロトムにドラパルトだとそこはかとない性能厨のかほりがするな。
強い子は好きなのでそれもまあ間違いではない。

性能の話が出てきたついでにバトルについても少し。
現状、環境破壊ポケモンが少ないため並プレイヤーでも楽しく遊べている。
今回の切り札ダイマックスは見た目も効果もシンプルに強くて戦略性があってめちゃ楽しい。
技の追加効果がタイプ毎の固定になるため先制技や補助技が使えなくなるといったデメリットもいい感じに作用してる。

メガシンカもさ……特別感があって楽しかったけど……キャラごとの差がすごかったから……

それと20年1月現在に実装されているポケモンの数がまだ少ないため、数年ぶりの対戦復帰でもなんとか情報を思い出したりアップデートしながら戦えている。助かる。
マスターボール級になっとけば600BP貰えるのもうれしい。


バトルの話はこれくらいにしてストーリー関連へ。

ストーリーやキャラクターも惹かれるところが多かった。
今はモンスター要素だけじゃ駄目なんだろうなという世相を若干感じる。
いや、昔からキャラクターには気合入れてたような気もするケド……前より多くのキャラがストーリーに絡むようになったというか……
この辺はキャラクター人気の強いBWやサン・ムーンをプレイしていないわたしの主観が強い。

まあそれはそれとして、ソードシールドの冒険譚はゲーム・ポケットモンスターにおける殿堂入りまでの話の様式美的ストーリーラインを知っているプレイヤーだからこそのやられた!感があった。
様式美を逆手に取って、悪の組織とか伝説のポケモン関連がちょっとイレギュラーな感じだったというか。わたしが勝手に騙されただけかもしれない。
でも楽しく騙されたのでよかった。

そしてわたしのような20〜30代の、初期から中期にかけてポケモンと共に育った世代に色んな意味で刺さる話でもあったように思う。
いい意味で世代交代を強く意識させてくる内容だった。

本作で目標となるチャンピオンはこれまでと違ってはじめからこの人だ!と提示されている。
そしてそのチャンピオン・ダンデはこれまでのポケモン主人公たちの要素を集めて大人になったようなキャラ造型なのだ。
常に帽子を被っていて、博士の孫がライバル(だった)、家に父の存在がなく、あまり家にも帰ってこない、10歳でチャンピオンとなった無敗の男。
元プレイヤーキャラ故の方向音痴(目的地に直行せず別の場所に行くというメタネタ)だとか、悪の組織がいないのは前作(概念)主人公だったダンデが倒したから、などという考察もあっておもしれ〜と思った。
この過去のプレイヤー的存在がプレイヤーの手から離れて、新しい主人公の前に立ちはだかるのだ。

ちなみにチャンピオン戦はBGMがヤバい(ヤバい)。
ネタバレも甚だしいが言ってしまうと曲のイントロが初代殿堂入りBGMなのだ。
私が兄のお下がりの初代をプレイしたのはもう十数年前になる。
それでも始めて達成したゲームクリアの象徴であるあのファンファーレ風のメロディは頭の片隅にずっと残っていたようで、イントロを聴いた瞬間私は泣いた。マジで。
少し大袈裟だがダンデというキャラクターはこれまでのポケモンの歴史の象徴なのだなと思った。

そしてそれを倒して新たな王者となる主人公。
これもある種の象徴なのだろう。

世代交代を意識させると先に述べたのはこの点だ。
ゲームの中ではチャンピオンの世代交代のみならず、ジムリーダー、博士の間でもそれが発生している。
それらの世代交代は断絶ではなく継承であり、受け継いできた大人の偉大さと受け継ぐことによる変化や若者の活躍が肯定的にストーリーで描かれる。

それは無論ゲームの中だけではなくポケモンというゲーム自体の意思表示でもあるのだろう。
意図的に過去作品を想起させる要素を取り入れてるもんね。
ゲームでの出来事でプレイヤー側にそれを伝えてくるというアプローチ、めちゃくちゃイイなと思う。

嬉しさと懐かしさとぼんやりした寂しさと。
様々な想いが湧きながら新たなポケモン世代の幕開けが感じられて本当に楽しかった。

そんなソードシールドをプレイして今までの自分のポケモン遍歴を振り返りたくなったのが今回。
前ふりが長すぎた気もするがソードシールドの感想も語りたかったしまあこんなもんじゃろ。

というわけで、以下これまでのポケモン思い出話。


わたしのポケモン遍歴~はじまり~

自分は年代で言うとおそらくRSE世代にあたる。
GBA世代とも言う。
小学校低学年の頃はくるくるくるりんやFEや逆裁などに熱中していたため、リアルタイムでポケモンを遊び始めたのはルビサファではなくエメラルドからである。

アニポケはたまに観ていた覚えがあるし、映画も非常に小さい頃に兄に連れられてミュウツーの逆襲を観てミュウに一目惚れもしたし、別にポケモンと関わらない生活をしていたわけではなかったのだが、如何せんゲームをやろうという発想がなかった。
なんでじゃろな。わからん。

そして月日は流れ小学4年生になった夏休みのある日。
兄が処分しようとしていたゲームカセット群の中にポケモン緑を見つけたのが一つの転機である。
いっちょやってみっか!とGBAに差し込んだのが私にとってのゲーム・ポケットモンスターの始まりだった。

余談になるが、わたしが初代を見つけた当時ですら既に赤緑が発売されて10年は経っていた。
ソフトを新しく買うことは難しかっただろうし、そもそも兄がソフトの整理をしてわたしの目にとまらなければ遊んでみようと思うこともなかったはずだ。
そう考えると10年前のソフトを大事に保管していた兄がわたしのポケモンプレイ史MVPと言える。
そもそもわたしのゲーム遍歴は兄の影響しかないのでコレに限った話ではない。

更に余談だが初プレイが初代だったのは今思えばかなりの僥倖だったと思う。
はじめに原点を知ることができたというのもあるが、その後の世代に慣れてしまった後にあのグラフィックと不親切仕様は耐えられなかったと思うのだ。
主に白黒の画面と移動速度がね……ウン……
現在のダッシュと自転車に慣れたら初代のもっさり移動ともっさり自転車は絶対ダルいぞ。
白黒は今なら逆に楽しいかもしれないけれど。


昔と今のゲームを比較するとグラフィックはもちろんのこと、操作のストレスやレベルデザインの向上が目覚ましいなとしみじみする。
昔のクソゲーすれすれの超難易度ゲームたちもなんだかんだ楽しんでいたけど、やっぱり適度にプレイしやすく進化していく今のゲームも楽しいね。
特にどんなゲームでもエンカウント周りは最新作が一番快適だと思う。ストレスは軽減するに限るぜ!
なんの話だコレ。


わたしのポケモン遍歴~赤プレイ~

というわけでGBAにはみ出すカセットを差し込み、冒険の旅に出た10歳のわたし。
システム周りは不親切仕様ばかりだったが(当時は不自由とも思っていなかったけれど)、ライバルの小憎たらしさと強さにムキー!となりながら出会ったポケモンを捕まえ、育て、色々な町やポケモンに出会う旅は楽しかった。
ポケモンに対する知識がたまに流し見するアニメ程度にしかなかったため、
なんだこのポケモン!?レアか!?
ボール投げられないじゃんなんで!!?
サファリ?攻撃できないし石投げよ!
次どこ行きゃいいんだ??戻るか?!
といった感じで、今思うと羨ましくなるくらいにはポケモンの世界を満喫していた。

ここでちょっとしたプレイエピソードを一つ。
3つ目のジムを攻略して次の町に行こうとすると途中の道にカビゴンが横たわって通れなくなっている。
そのため主人公は来た道を引き返し、回り道をして次の町に進むことになる。その際に通る洞窟・イワヤマトンネルは普通に入ると真っ暗で進む道も何も見えない
その解決策となるのが3つ目のジムバッヂを手に入れたことで使えるようになるひでんわざ「フラッシュ」である。
しかし当時のわたしはフラッシュのわざマシンをくれるおじさんのいる所をスルーしてトンネルに赴き、「この暗闇の中を進まないといけないのか」と絶望した。
そしてなんと音とトレーナーとのエンカウントを頼りに暗闇を突き進み数日かけて洞窟を攻略したのだった……
時間の無駄以外の何物でもないセルフ縛りプレイだった。

10歳のわたしは引き返すという選択肢を持っていなかったし、何も見えない暗闇の中を進むという状況がおかしいということに気がつけなかった。
あまりにも愚か。気が狂っていた。
あんな真似は二度としない。
でもあんなゲーム体験はあの時しか出来なかったと思うと少し愛おしく……ならないな!!!!

引き返さなかったわたしもわたしだが、そもそも初代はひでんわざをくれる人たちが全体的に変な場所にいると思う。
フラッシュくれる人の家の場所ってぶっちゃけどうよ?そらをとぶも。

まあ普通は虱潰しに道を進むから見逃すなんて失態を犯すこともないと思うけれど、あの白黒世界、どこに行ったことがあってどこをまだ見てないかの判別がマジでつかないのだ。
なみのりも歩数制限あるなかかいりきを駆使しつつサファリの奥まで行かないともらえないとか無茶言われた気がするし……
(このへんはおぼろげ。貰えるのはラプラスだっけ?)

詰まったら攻略サイトという時代でもなかったため、とにかく見たことのないところを探しては闇雲に進み……という時間が膨大にある小学生の夏休みだからこそできたガムシャラプレイをしていた。


わたしのポケモン遍歴~赤プレイ後~

そんなこんなで楽しく初代をプレイしたのち、ポケモンの楽しさにどっぷり浸かったわたしは続けて兄の持っていたカセット群から見つけた銀をプレイ。

初代より遊ぶ要素や寄り道も増えたしカラーになった事で賑やかに感じられる旅だったが、なんだかすぐにリーグに辿り着いた気がした。
そこで戦うしてんのうと自分のポケモンのレベルが低いことにも首をかしげる

からの〜〜〜〜〜カントー地方進出!!!!!!

まだ冒険が出来るんだ!!しかもカントーで!!!!と大興奮した。
初代ライバルや主人公が待ち受けていたことも嬉しかった。
先に初代をやっていたからこその興奮と喜びだった。


そんなポケモン漬けの夏を送り、それでも冷めやらぬポケモン熱。
その年のクリスマスプレゼントに当時の最新作・ポケットモンスターエメラルドを買ってもらった。
そしてOPのドットアニメーションの美しさにものすごい衝撃をうけた。
あの葉っぱに水滴が垂れるところヤバない?マジヤバ。
カイオーガグラードンのムービーもすごいと思った(こなみかん)。
建物の裏に行けることにも地味に興奮した。
建物に立体感がある〜〜〜!!!
そしてポケモン毎に固有のミニキャラグラがある衝撃たるや。
直近にやっていたのが前世代ハードのゲームだったため感動もひとしおだった。

半年間に数年分の技術の進化(白黒→カラー→更に鮮やかなカラー)を見せつけられ、かがくのちからってすげー!と思った。


ちなみに初めて自力で遊んだRPGポケモンだったため、ゲームを攻略する能力が誇張抜きに赤子レベルだった。feはSRPGなのでノーカン。
まあイワヤマトンネルノーフラッシュ事件でお察しの通りである。

エメラルドでは先にマグマ団アジトを攻略しないとアクア団基地に進めないのだが、その事に全く気づかないわたしはアクア団のアジト前で数カ月足踏みし続ることになる。
そしてレベルだけが上がり続けようやく進める段になったときにはまだ7つ目のジムにもたどり着いていないのに平均レベル80超えのパーティが出来上がっていた。
ポケモンのストーリー進行に詰むって……(ドン引き)

7つ目と8つ目のジムや伝説のポケモンたちですらこちらの圧倒的な数字の暴力に手も足も出ず、チャンピオンミクリのルンパッパに当たるまでラグラージ無双が続いた。
幼いながらに圧倒的な力でただ殴ることの味気なさを学び、その後は必要最低限のレベリングしかしない派に成長する要因となった。

学んだといえばエメラルドのバトルフロンティアは凄かった。
それまでストーリーでブイブイいわせてたポケモンたちで惨敗を繰り返し、レベルを上げるだけやフルアタックによるゴリ押しでは勝てないバトルがあるのだとまざまざと見せつけられた。
フロンティアブレーンには2、3人にしか会えずじまいだった記憶。
レベル80パによる数字の暴力は例外としても、基本負け知らずのまま殿堂入りするストーリーの後に油断してもしなくてもボロ負けするような強いヤツしかいないバトル環境に置かれるのはなんかドキドキして楽しかった。
張り合いがあるっていいことだなあ。
ただし厳選なんてものは存在すら知らなかった。知らなくてよかった。
調べてしみじみと思うが昔の厳選環境は頭がおかしい。

プレイ時間で言えば詰んでた期間を除いてもエメラルドが一番長かったと思う。
バトルフロンティアもそうだがひみつきちや海底洞窟など、クリア後も遊べる要素が沢山あったのだ。
楽しかった。
そして視力悪化の原因でもある。
今の若い子は知らんと思うがね……昔のゲーム機の液晶画面は光らないんだ……とにかく暗いんだ……
あんなもん長時間プレイするとか正気の沙汰じゃねえ。

追加の余談。
初めて映画でミュウを観たとき(4歳かそこら)からずっとミュウを愛してきたが、手持ちになったのは2005年。
映画「波動の勇者ルカリオ」のチケット購入特典でゲットするまで入手手段があらず歯がゆい思いをしていた。

期間的にはかなり長い間ミュウを欲していたが、プレイを始めてからと考えるとミュウを手に入れるまでせいぜい1年かそこらの空白期間であった。
子供の頃の年月の重さを感ずる。

わたしのポケモン遍歴~第一次プレイ卒業~

そしてバトルフロンティアや赤のリメイクをやったりしながら月日は流れ、DP発売
予約して発売日に買ってもらった。

御三家も伝説も格好良く、ゲームから醸し出される独特の雰囲気が魅力的なこの作品だが、とにかく怖かった
もりのようかんが怖すぎる。
無音の教会もこわい。
ギラティナのいる洞窟も怖い。
クレセリアのいる島に行く港がある町も怖い。
全部怖いわ。まじ怖い。ダイパは怖いところ多すぎん?
思えばダイヤモンドが私にゲームでの恐怖という概念を教えた。

それまで赤緑のシオンタウンの曲も正体がつかめない幽霊も、金銀の焼けた塔も、RSEの捨てられた船や海底洞窟も、全く恐怖を感じなかった。
だってドットだしゲームだから。
別ゲーだが逆裁の恐怖演出として名高い「DL6号事件を忘れるな」にも何も感じなかった。情操が発達していないぶん今よりゲームに対してはリアリストだった。つまんねえ子供だよ……

だのに情操が育ったせいか、ダイパがとりわけ不気味だったからなのか、あるいはそのどちらもなのか。
ポケモンのホラー要素に泣くほどビビり、ドットゲーって怖いんだということを知ってしまった。

知るが最後、今ではもうシオンタウンはおろかグレンタウンのポケモンやしきですら怖くて入れないと思う。
ギガシリーズを開放するための海底洞窟とか点字による謎解きとかもマジムリ……こゎぃ……ダイビングこゎぃ……
ギガシリーズがいる地点とかもりのようかんの実際の場所の話聞いて恐怖で泣いたもん。勘弁してくれ。
でもロトムは好きだよ。かわいいよ。

そんな半分トラウマのような恐怖体験や中学進学と部活動の開始というタイミングもあり、ダイヤモンドで一旦わたしのポケモンプレイ史は幕を閉じる

わたしのポケモン遍歴~XYプレイ~

そしてポケモンプレイ第二幕が開けたのは大学入学後。XY発売が契機である。
実に七年ぶりポケモンであった。
動機は前述の通り可愛い女の子の着せ替え要素とポケパルレである。

XYはハードが3DSということもあってドットが3Dに、人物たちの頭身が高くなり、人もポケモンも表情豊かに動く動く。
立体的な町並みと綺麗な景色も目に楽しい。
すべてが記憶のポケモンと異なっていて新鮮な気持ちで楽しめた。
特にローラースケートのシャーシャー音、気持ちよくて好き。
BGMも全体を通して派手さはないが荘厳な感じで好みだった。

そしてここに来て育成にハマる
ネットの普及により育成論や厳選など知らなかった世界の知識が入るわ入るわ。そしてアイテムや仕様の変化による育成の易化。
これはやるしかねぇ。
そんなこんなでその年の正月は色違い5Vヒトカゲの孵化に忙しかった。
色違いメガリザXめちゃ可愛いんだよ……もう使えないけど……

過去作のポケモンを連れてこれるポケバンクの開始がクリスマスだったため家に遊びに来た友人をほったらかしてDS二台持ちでポケモンの移し替えをしてドン引きされたりという話もあるが、そこはまあ省略する。


ガチと言うほどでもないが育成や対戦にも手を出しトライアンドエラーを繰り返しながら知識を身に着け、そこそこのレート帯まで進み、ポケパルレでミュウと戯れ、主人公を着せ替えて愛で、満喫していたポケモン史第二幕。
しかし楽しみにしていたマイナーチェンジ版が出なかったことによるガッカリ感で二度目のポケモン離れに至る。

XYのストーリーやキャラは薄味だとよく言われる。
実際自分もそう思う。
鮮明に覚えている赤や銀やエメラルドとやダイヤモンドとは異なり、XYはすでジムリーダーや伝説ポケモンの名前やシナリオ上の出来事の記憶が朧げだ。
それでもあの作品は自分にとって数年ぶりの復帰作であったし育成に手を染めたきっかけでもあったし、思い入れでいえばとても印象深い作品だった。愛着が湧いていたのだ。

ストーリーもマイチェン補完前提のような点が見受けられたし出たら絶対買おうと思っていた。
が、それをすっ飛ばしてルビサファリメイク完全新作
20周年を跨ぐ時期だったから仕方ないとは言うけどさ……でもさあ……
オマケにメガシンカ黒歴史化してしまった現状を見ると非常に悲しい。

ドットから3Dへのグラフィックの変化、新たなバトル要素、新タイプフェアリー実装、主人公の着せ替え要素などなど、革新的なというか新天地的作品だとは思うんだけどね。
如何せんそれだけなんだろうネ……

それに当時の世間の反応を思い返してもXY打ち切り(?)にそこまで反発も出てなかったように思う。
薄いからね、存在がね。
う〜ん悲しみの雨。

現在とまとめ

そしてまた月日は流れる。
大学を卒業、院も卒院、社会人生活にも慣れてきた今日この頃。
ポケモン剣盾発売。
始まるポケモン史第三幕。

再開の動機と空白期間の長さがDP−XYとXY-剣盾でほぼほぼ同じことに運命を感じる。
発売周期が同じなだけだろうけど。


こう考えると自分はポケモンで遊んでいた期間より空白期間のほうが長いことに気づく。
それに外伝系は全く触れたことがないしけっこう淡白なプレイヤーなのかもしれない。

それでも初めて遊んだRPGポケモンだ。
ポケモンのシンプルかつ王道の冒険譚は子供の頃の忘れられない大切なゲーム体験になっている。
そして新たに刻まれたソードシールドも、きっと忘れられないゲーム体験として残っていくのだろう。


ポケットモンスターと私の話、以上!

フジファブリックとわたし

はい。


フジファブリックの元ボーカル、志村正彦氏とその作品について語ろうと思う。

というのも、筆者ががフジファブリックの存在を知ってもうすぐ10年という節目に直面したためである。12月も下旬に入ったこの時期に記事を投稿したということで、筆者が知った切欠に察しがつく方もいるだろうと思う。

何を隠そう、志村氏が亡くなったと報道された日が、つまり2009年12月25日が、わたしにとってフジファブリックと出会った日であった。

余談だが、私の世代の中学後半〜高校前半周辺(2010年前後)で志村を含め亡くなったり活動休止や解散をしたり逆に活動再開したりする著名なアーティストがかなり多かったように思う。
なんだか異様な時期だった。


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出会い

時をさかのぼること10年前。

高校受験を間近に控えた冬であった。
申し訳程度に通っていた塾の冬季講習が終わり、人のほとんどいない地元の無人駅に降りた私は家からの迎えを待っていた。夜の10時頃だった覚えがある。

ど田舎の冬の夜は独特の静けさがある。人がいないのは勿論、車もほとんど通らない。積もった雪が音を吸収するせいか、物音すらさして響かない。
そんな静寂に耳寂しさをおぼえてウォークマンを起動したがその日はなんとなく音楽を聴く気分でもなかった。そして適当にラジオを繋げ、最初に耳に入ったのがフジファブリックのボーカル・志村正彦氏の訃報だった。
知らないバンドの知らないボーカルが死んだらしい。15歳に知らない人の死を悼む心はまだなかった。
ただ、クリスマスイブに死ぬのはバンドマンぽいなと思った。

冬だし寒いし塾でクリスマスはほとんど潰れるし、受験は近いし知らないバンドマンは昨日死んだ。
疲れた脳みそはそこに情緒を見いだすほどの気力もなく、窓を開けてこちらに手を降る母の車に歩を進めたのだった。

あの日のラジオでフジファブリックの曲は流したのかどうか、正直記憶にない。
音楽を聴く気分じゃなかったのだから仮に流れていたとしても右から左だったかもしれない。
ただ、そのラジオで聞いた訃報と、その時感じたことはやけにちゃんと覚えている。


今思い出してみるとなかなか詩的なシーンだと思う。
中学時代の終わり、冬の夜、ウォークマンで聴くラジオ、バンドマンの訃報。
肌を刺す冷気と受験への少しの焦燥感と人の死が、ただなんとなく冬を感じさせた。思い出す度にそういったものが一気に押し寄せてくる、一つの郷愁の思い出になっている。

そんないい感じの事を言ってみたが、フジファブリックの曲はノスタルジーを刺激する曲が多いのでわたしの脳みそが後付けで脚色してしまっている感も否めない。

そしてフジファブリックとわたし、正直ここがクライマックスである。
出会いが個人的に叙情的だったから書き起こしておきたかっただけで、あとは普通にアルバムを聴き、徐々にドツボにハマって現在に至るのみである。

その魅力

クリスマスからすこし時は流れ、無事合格した高校にて。
音楽系の部活に所属した友人の友人フジファブリックの大ファンで、私が志村の訃報を知っていると言ったら大喜びで志村時代のCDやDVDを貸してくれたのだった。

そしてびっくりするくらい積極的なその人は何度も何度もわたしに感想を聴いてきた。今となってはその友人の友人には感謝しかない。
なぜかと言うと、フジファブリックの曲って一曲聴いてすぐピンとくるタイプのものじゃないからだ。ファンに言ったら怒られそうだが、志村時代のフジは歌も演奏も圧巻!というほど上手いわけではないと感じる。一曲聴いてガツンと殴られるバンドではないというか……
それでも惹かれる圧倒的な何かを持った独特なバンドだが、それを理解して感じるようになるまでに少しのタイムラグがあった。
そのため、友人の友人という微妙な距離感の知人に対する気遣いとしてちゃんと聴かなければ、という目的意識は私がフジにハマる中で1番大きかった要因だと言える。

特に有名な「若者のすべて」も「茜色の約束」も、過ぎ去りしノスタルジーを思う歳になってようやく感じられるようになった。
単純に当時のわたしの情操が人より育っていなかっただけな気もするが、まだ十代だった自分にはバラードだなあと思うのみだった。

それでもピンと来てから転がり落ちるのは早かった。聴けば聴くほど、不思議な魅力を持つバンドだと感じた。
ピンときた切欠の曲や好きな曲については後述させていただく。


フジファブリックを聴くまで、音楽はとにかく聴きいい声で格好いいメロディラインがあれば最高って感じのスタンスだった。歌詞にあまり興味がなかったのだ。

そんな自分にとって、メロディと共にフレーズが否が応でも頭の中に残る志村の曲たちは非常に衝撃的だった。リフレインされる言葉が耳に残り、歌詞が気になって仕方がなくなる。
歌詞をじっくり見ながら音楽を聴いたのはあれが初めてだったと思う。

そして歌詞カードを見て更に驚く。すごく短い。
サビはリフレインが多いため(言い方は悪いが)情報量も少ない。
だというのに恐らく伝えたいであろう心情や情景はめちゃくちゃ伝わってくる不思議。


このブログを読めば察して頂けるかと思うが、筆者は話が回りくどいし長い。更にいうと語彙も乏しいうえ、言いたいことがありすぎてまとめられずとっ散らかる。
そんな人種なもんだから、短い言葉の中で一つ確かに伝えたいことを明示しそのうえで様々な情感を伺わせる志村のワードセンスには脱帽するしかなかった。
極限まで削ぎ落とした言葉の美しさよ。

婉曲的な挿話であったり具体的すぎる名詞でもって聴き手の記憶に訴えかけてくる手法は本当にすごい。
志村の独特な感性による特異なワードチョイスがつっかかりとなって耳に入り、そして案外すんなり理解としてほどけていくのは不思議な感覚だった。
独特な表現でありながらさり気なく、地に足ついた言語感覚はなかなか持てるものじゃないと思う。

夏の名曲若者のすべては特にこの点が優れているように感じる。
普遍的な情緒をこれ以上ないくらいに表現しているすごい詩なのだ。まさに若者のすべて
過ぎ去りし十代の夏の終わりに感じた空気を、同じ時期にふと思い出しては持て余すような気持ちになるのは誰しもが通る道ではないだろうか。
あとは言うだけ野暮なので聴いたことのない人もある人もは歌詞と曲を聴いてしみじみしようそうしよう。


また、フジファブリックの曲は郷愁的なバラードだけではない。
電波なメロディの電波ソング、怪しいメロディの倒錯的な曲など、曲によって印象がガラリと変わるのも大きな特長だ。
ただどの曲であっても、その独特でインパクトがありつつ必要最低限に削ぎ落とされた歌詞と、贅沢に時間を取ったイントロや間奏やアウトロは共通していると思う。
とっ散らかった印象にならないのは持ち味をしっかり表現できているからこそなのだろうか。


そして志村フジの最たる魅力はなんと言っても志村の歌声である。
それがとにかく魔力的な何かを持っていた。
特別に綺麗な声でも、高かったり低かったり声量があったり嗄れていたりといった特徴的な声でもない。
あの1音1音手探りするような、子音も母音もハッキリしすぎるくらい発音する歌い方は、なんだか歌うのに慣れていない素人みたいだとすら思う。ライブ音源を聴くと音程すら危ういこともままあった。
でもあの声とあの歌い方が耳から離れなくなる。日常会話の延長線のような自然さと歌としての微妙な不自然さ。
アンバランスさは時に人を惹き付ける。
本当に独特の、魔力のこもった声だった。
フジファブリックのガラリと印象の変わるそれぞれの曲とうまく調和していた。


演奏についても非常に好きなのだけれど、音楽や演奏関連はマジのマジで圧倒的無知のド素人かつ楽器音痴なので、すごくかっこいい(こなみかん)としか言えない。
フジの曲はイントロや間奏が長いので聴きごたえあって楽しい。特にキーボードがパヤパヤしてていい味だしてる。

とにかく、私としては志村フジの歌声が好きだし曲も演奏も好きだし歌詞も好きだし、全てが魅力的に感じるという褒め殺ししかできない。
好きってそういうもん。

懺悔

しかし、白状するとこんなにべた褒めのくせにバンドそ のものについては全く詳しくない。知っているのはバンドメンバーの名前くらいなもんである。
せいぜい出ているアルバムを調べる程度でしかフジファブリックというワードを検索したことがないのだ。

きっとバンドやメンバーたちの曲への思いや人となりを知れば曲の新しい側面や背景を知ることもできると分かっていつつも、曲を聴いて自分の感性で良いと感じたことが全てだとも思う。

私見でしかないが、作品を楽しむためには作者との間に適度な距離が必要だと思っている。好きなものに対してあんまり情熱を注いで詳しくなってしまうと疲れるのだ。特に生きた人間が絡むものは。
語弊ある言い方になるが、志村が亡くなってからフジファブリックを知り、人に勧められて受動的に曲に触れたことが、私にとって適当と思える距離で作品を楽しめている一つの要因なのだと思う。


さらに懺悔するならば、2010年以降の活動を存じ上げておらず、フジファブリックのアルバムはMUSICまでしか持っていない。spotifyを通じて今も活動されていることは知っている。
な、なんかグループやファンの方々に対してあまりにも失礼だな……すみません……

でも現在のフジが駄目だとか嫌いだとか志村のいないフジはフジじゃないと言いたいわけではない。山内サン作曲の「記念写真」とか「B.O.I.P」とかすごい好きだし。
当時のボーカルが亡くなり、それでも解散せずメンバーを変えず、現在に至るまで活動を続けている彼らはまさしくフジファブリックというバンドなのだと尊敬の念すら抱く。フジファブリックは今も地続きで活動しているということはとても嬉しい。

ただ、私がフジファブリックの存在を知ったきっかけが志村の死だったのだ。志村ありきの存在しかないのだ。それだけである。
いやちょっと違うかもしれん。
死んだから存在を知ったし、死んだからこれだけ印象に残ったというのも確かにあるが、あの人の声と曲と歌詞があまりにも自分の感性にしっくり来すぎた。これ以上のものはもうないと思う。

一番好きなアーティストは生涯志村だと断言できるくらい。


好きな曲

面倒くさいオタクのこだわりの話はさて置いて、面倒くさいオタクの好きな曲の話に移ります。
順不同に思いついたままピックアップして書いているので悪しからず。


  • 唇のソレ

一番最初にティンときた曲。
アップテンポで明るく華やかに黒子への執着を歌われてびっくりした。どんな魅力的なものより黒子に執着するという倒錯をこんなにポップに歌うのか……と衝撃を受けた。
テロリロテロリロした曲調と跳ね上がるような歌い方でありながら謎にネットリした志村の歌い方がとてもイイ。
それでもやっぱりそれでいてやっぱり唇のソレがいい!のリズムがとにかく気持ちいい。

  • Monster

重厚なロックっぽいイントロからの女の子にあしらわれた男の独白のようなちゃんちゃんさらさらおかしい歌詞。笑ってしまう。
ダサい歌詞と曲の格好良さのアンバランスさがクセになる。
サビの盛り上がりとイントロのハードな感じも好きだが、Aメロ?語り?のあの地声っぽい早口が最高に気持ち悪くて最高にイイ。

  • 銀河

言わずと知れた電波曲。もはや伝説では?
銀河に関してはPVもセットですごくすごい(すごい)
パヤパヤしたイントロからスローな歌い出し、極めつけのタッタッタッタタラッタラッタッタ、とにかくすごい。
この曲、ラスサビまで含めて志村のテンション?歌い方?が極めて一定なので得体の知れないものに遭遇しているような雰囲気を味わえる気がする。
ぜひPVを観ながら聴いてほしい。ぜひ。

  • NAGISAにて

謡曲チックで若干チャイナチックなイントロが最高。爽やかレトロな夏の曲。
この曲からはノスタルジーとはまた違う古めかしさが滲んでいてイイ。ブラウン管カラーテレビのザラザラした映像越しに夏を眺めるような、自分の知らない遠い昔を観たときの懐かしさが滲んでいる。

映画の渚にてとは関係ないと思う。故意か偶然か、これ以外にも内容は全く関連性がないけど映画のタイトルと同じ題の曲が散見される。何かあるのだろうか。

  • TAIFU

台風が来たときの非日常感にいても立っても居られなくなるドキドキ感が演奏から伝わってくる。歌も演奏も一曲通してずっとアップテンポでハイテンション。
それこそ台風のように街中で荒れ狂ってる感じで聴いていてわくわくしてくる。
そして歌詞もメロディも支離滅裂で一度聴いたら耳から離れないこと間違いなし。疑問符も湧くこと間違いなし。
飛び出せレディーゴーで踊ろうぜ黙らっしゃいって何だ?音程それでいいのか?大丈夫か?

  • 陽炎

ノスタルジーな夏の曲。
イントロなしでAメロ→間奏→Bメロ
と繋がるメロディーラインが「現在(Aメロ)」から「過去(Bメロ)」を振り返る歌詞の文脈に連動していてスキルフル。

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気づいて
慌てて家を飛び出して
そのうち日が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる

サビの歌詞は上記のように〜て、〜て、と拙い語り口の一文になっている。
曲の盛り上がりと詩の拙さが、昔をリアルタイムに思い出しながらそのときの衝動も湧いてくるような勢いを伝えてきて、こちらもたまらない気持ちになる。
夏休みに友達と公園で遊ぶ約束をしていたのに雨で行けなくなってがっかりして、でもいつの間にか止んでたから早く行かなきゃ!という連絡手段が家電しかなかった頃特有の懐かしい焦燥感。
淡く消えてゆくアウトロもノスタルジーを加速させる。本当にイイ曲だぁ……

  • Strawberry Shortcakes

メロディの妖しさが大好きオブ大好きオブ大好き。純粋に曲としてはコレが一番好きかもしらん。
Aメロの急な場面転換がこの状況が夢か現かわからなくさせていてさらに妖しさを醸し出している。
魅力的な女性とディナーしてるのはわかるのだが、最初の皇居ランナー(?)からの高級レストランという場面転換、デザートの段になってようやく君の左利きに気づく違和感、そもそもレストランのデザートがショートケーキ?というなんかちょっとちぐはぐな所と曲調が相まって不気味な感じでイイ。
半音上げたラスサビの盛り上がりが最高。

  • Chocolate Panic

曲が大好き第二弾。イントロとAメロが特に最高。
二番のジーザス!ジーザス!アーメン!神様ひとつよろしくどうぞ、という全く信仰してなさそうな雑な神頼みの歌詞とリズムが最高に気持ちいい。
志村が綺麗な(?)裏声で歌う物珍しさもあって印象に残る。

  • 夜明けのBEAT

この曲、なんか異色。
志村フジには珍しい純度100%格好いいメロディストレートな歌詞
志村死後、デモテープに演奏を付けPVが取られた曲らしいので気合の入った演奏とどこか力の抜けた声のアンバランスさがあり、そのいびつさが非常に格好いい。聴いてて気持ちいいし好き。PVも込み上げるものがある。
ただ、なぜか歌詞の違和感が拭えない。どう言ったらいいのか、すごく普通な格好良さ。
志村独特の滲み出る郷愁や倒錯的嗜好が一切感じられない。ティンとくるフレーズがない。
魅力的な歌詞と曲調なんだけどね。
死後に出された曲だから変に穿って見てしまうのだろうか。

  • 桜並木、二つの傘

切り出そうとした僕に気づいたのなら君から告げてはくれないのか
が前半と後半で全く違う意味になる構成の上手さ、すごい。そしてすこし他力本願で責めるようなその台詞に破局もやむなしだなと妙に納得させる性格の印象付けもしっかりされる所、マジすごい。
恋の始まりから破局までの曲だが喜劇のオチが着いた時に流れそうな軽快なイントロから入るのがすごく好き。
サビのドゥタドゥダディバダバドゥダ♪はつい口ずさむ。

  • 線香花火

凡人のわたしは線香花火というと夏の終わりの静けさや儚さをイメージしてしまう。それに反してこの曲の激しさたるや。
悲しくったって夏は簡単には終わらないという叫び声に近いサビが格好良くて、なかなか聞かないフレーズで、やけに耳に残る。
だいぶ青春のかほりのする曲である。
フジファブリックには夏を題材にした曲がかなり多い。志村は夏が好きだったのだろうか。
その中でも一番激しさを感じるのがこの曲である。

  • 打ち上げ花火

打ち上げ花火っていうと激しくど派手なイメージがあるけど、曲調としては逆。
印象との逆転という意味では線香花火と同じだネ。
特にイントロはゆったりしていて、なんだか荘厳な感じ。そして長い間奏とサビで一気に盛り上がる。
まさに打ち上げ花火。
あの転調はマジでアガる。
歌詞も幻想的で、独特の感性で花火が打ち上げられ花開くところが描かれる。まどろむお月さんの顔めがけ打ち上げ花火を打った!このフレーズだけで10000000000点あげたい。
個人的な話だが、焦げ臭い匂いを描写するせいかお盆の頃を想起する。幼年期にぼんやり遠くから眺めたお盆の花火。
実際は打ち上げ花火の筒の近くにいるのだろうか。お地蔵さんの行列って花火の筒っぽいよね。
あとコレは日比谷野音の演出がガチで神がかってるのでDVDで是非観てほしい。

  • 花屋の娘

キーボードが効いてて好き。情熱的なようなぽわぽわしたような、良いラブソングになりそうなイイ曲。
格好いいイントロ、夕暮れの路面電車という叙情的な歌い出しから始まる暇つぶしに花屋の女の子との恋を妄想する話。静かに狂気的な歌である。メジャーデビュー前の曲のせいかパンチの効き方がすごい。
スミレと名付けましたじゃない。そこにウェーブを効かせるな。でも最高です。

  • 消えるな太陽

全体的に若くて荒々しい衝動を感じさせる歌詞でありながらイントロからサビまでゆったりしたテンポのメロディの不思議な曲。
ゆったりしたテンポだが穏やかってわけでもないし、ほんとに不思議。
あまりにも主観的だが、教授の都合で休講になりヒマになった平日、昼間に起きてふらりと外出して寂れた映画館で適当なものを観て特に何を得るでもなく夕方頃に映画館を後にした大学時代の在りし日。そんな無為に潰してしまった日の虚しさをしみじみと思い出してしまう曲。若い頃の尖った心だけ持て余して特に何も成せない虚無が押し寄せてくる感じ。
それとは別に詩のないラブソングというフレーズがやけに印象に残っている。
どんな曲を聴いてコレはラブソングだと感じたのか知る由もないが、良いフレーズだなとただ思う。



好きな曲はまだまだあるが、書く方も読む方もそろそろ限界が来る頃な気がするので切り上げる。
誇張なしに全部好きなので語ろうと思えば際限はない。

若者のすべて茜色の約束は言わずもがな、桜の季節赤黄色の金木犀も好き。MUSICも。四季の歌にハズレはない。むしろ全部大当たり。
他にもパッションフルーツの「眼鏡はどうかそのままで」とか、マリアとアマゾネスの「さあその手を汚してよ」とか前述した唇のソレとか、倒錯的な曲もたまらなく好き。

いつかまた書ききれなかった好きな曲について語る記事を書くかもしれない。多分次は15周忌くらい。



追悼


ここまでとりとめもなくダラダラと書いてきてしまったが、いまだ志村氏の死を悼んでなかったことに今更思い至る。

しかしこの段になって冥福を祈るのもおかしい気もする。
亡くなって十年にもなれば故人の思い出話などに花を咲かせるのが一番じゃないかな、ということで。

わたしは故人との思い出が一切無いただのファンであるし、そもそも志村氏が生きていた時分は存在すら知らなかった。

それでもしかし、彼の遺した作品を通じて痛烈にその存在を覚えることになった。存在を知ってからは一時も忘れることはなかったと言える。それくらいずっと曲を聴いていた。
亡くなった大好きな叔父を思い出すことが減ってしまっても、会ったこともない志村氏は毎日そこに存在していたのだ。

そう考えてみると、アーティストたちが作品の中で生き続けるというのはあながち嘘じゃないのだなとしみじみする。ただ時が止まってしまったというだけで。


思えば私も志村氏の享年にだいぶ近づいてきた。たしか彼は28か9だった覚えがある。
その年齢に近づくにつれ、彼が若くしてどれだけの名曲を作り世に出してきたのかを思い知らされ、その才能に畏怖の念すら覚える。

そしてまだ若い志村氏に今後の更なる発展を期待していたであろうご家族や、メンバーや、ファンにとって、あるいは志村氏本人にとっても、その死がどれだけの悲しみと衝撃をもたらしたかを思うと言葉が出ない。


しかし身勝手なことを言うと、彼が亡くなっていなかったら私はここまで鮮烈に志村氏の存在を知り、作品に触れることはなかったかもしれない。だから、その死を惜しんだり早すぎたと言う権利は持っていない。
ただ、志村氏の才能と作品に対して抱いている敬意と愛だけは本物だとだけ。


私の中で十年という大きな区切りであったため記事を書いてみたが、それで何かが変わるとか言うことは特に無い。
これからも、これまでと何も変わらずフジファブリックを聴き続ける。通勤のお供である*1
今年はSpotifyで通算300時間くらいフジファブリック聴いてたことが判明し、我ながら中々だな、と引きつった笑いが出た。


そんなこんなで志村正彦氏の遺した作品たちへの愛と彼への追悼の意を表し、記事の締めとする。
そしてここまで読んでくださった方がもしいらっしゃいましたらありがとうございます。
長くて申し訳ない。


そんなフジファブリックとわたしでした。

*1:21.11.6追記:この記事を書いた数ヶ月後に在宅勤務が基本の世界になるとは思わなかったね……