茶箪笥のモリタート

考察は妄言 深読みは趣味

フジファブリックとわたし

はい。


フジファブリックの元ボーカル、志村正彦氏とその作品について語ろうと思う。

というのも、筆者ががフジファブリックの存在を知ってもうすぐ10年という節目に直面したためである。12月も下旬に入ったこの時期に記事を投稿したということで、筆者が知った切欠に察しがつく方もいるだろうと思う。

何を隠そう、志村氏が亡くなったと報道された日が、つまり2009年12月25日が、わたしにとってフジファブリックと出会った日であった。

余談だが、私の世代の中学後半〜高校前半周辺(2010年前後)で志村を含め亡くなったり活動休止や解散をしたり逆に活動再開したりする著名なアーティストがかなり多かったように思う。
なんだか異様な時期だった。


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出会い

時をさかのぼること10年前。

高校受験を間近に控えた冬であった。
申し訳程度に通っていた塾の冬季講習が終わり、人のほとんどいない地元の無人駅に降りた私は家からの迎えを待っていた。夜の10時頃だった覚えがある。

ど田舎の冬の夜は独特の静けさがある。人がいないのは勿論、車もほとんど通らない。積もった雪が音を吸収するせいか、物音すらさして響かない。
そんな静寂に耳寂しさをおぼえてウォークマンを起動したがその日はなんとなく音楽を聴く気分でもなかった。そして適当にラジオを繋げ、最初に耳に入ったのがフジファブリックのボーカル・志村正彦氏の訃報だった。
知らないバンドの知らないボーカルが死んだらしい。15歳に知らない人の死を悼む心はまだなかった。
ただ、クリスマスイブに死ぬのはバンドマンぽいなと思った。

冬だし寒いし塾でクリスマスはほとんど潰れるし、受験は近いし知らないバンドマンは昨日死んだ。
疲れた脳みそはそこに情緒を見いだすほどの気力もなく、窓を開けてこちらに手を降る母の車に歩を進めたのだった。

あの日のラジオでフジファブリックの曲は流したのかどうか、正直記憶にない。
音楽を聴く気分じゃなかったのだから仮に流れていたとしても右から左だったかもしれない。
ただ、そのラジオで聞いた訃報と、その時感じたことはやけにちゃんと覚えている。


今思い出してみるとなかなか詩的なシーンだと思う。
中学時代の終わり、冬の夜、ウォークマンで聴くラジオ、バンドマンの訃報。
肌を刺す冷気と受験への少しの焦燥感と人の死が、ただなんとなく冬を感じさせた。思い出す度にそういったものが一気に押し寄せてくる、一つの郷愁の思い出になっている。

そんないい感じの事を言ってみたが、フジファブリックの曲はノスタルジーを刺激する曲が多いのでわたしの脳みそが後付けで脚色してしまっている感も否めない。

そしてフジファブリックとわたし、正直ここがクライマックスである。
出会いが個人的に叙情的だったから書き起こしておきたかっただけで、あとは普通にアルバムを聴き、徐々にドツボにハマって現在に至るのみである。

その魅力

クリスマスからすこし時は流れ、無事合格した高校にて。
音楽系の部活に所属した友人の友人フジファブリックの大ファンで、私が志村の訃報を知っていると言ったら大喜びで志村時代のCDやDVDを貸してくれたのだった。

そしてびっくりするくらい積極的なその人は何度も何度もわたしに感想を聴いてきた。今となってはその友人の友人には感謝しかない。
なぜかと言うと、フジファブリックの曲って一曲聴いてすぐピンとくるタイプのものじゃないからだ。ファンに言ったら怒られそうだが、志村時代のフジは歌も演奏も圧巻!というほど上手いわけではないと感じる。一曲聴いてガツンと殴られるバンドではないというか……
それでも惹かれる圧倒的な何かを持った独特なバンドだが、それを理解して感じるようになるまでに少しのタイムラグがあった。
そのため、友人の友人という微妙な距離感の知人に対する気遣いとしてちゃんと聴かなければ、という目的意識は私がフジにハマる中で1番大きかった要因だと言える。

特に有名な「若者のすべて」も「茜色の約束」も、過ぎ去りしノスタルジーを思う歳になってようやく感じられるようになった。
単純に当時のわたしの情操が人より育っていなかっただけな気もするが、まだ十代だった自分にはバラードだなあと思うのみだった。

それでもピンと来てから転がり落ちるのは早かった。聴けば聴くほど、不思議な魅力を持つバンドだと感じた。
ピンときた切欠の曲や好きな曲については後述させていただく。


フジファブリックを聴くまで、音楽はとにかく聴きいい声で格好いいメロディラインがあれば最高って感じのスタンスだった。歌詞にあまり興味がなかったのだ。

そんな自分にとって、メロディと共にフレーズが否が応でも頭の中に残る志村の曲たちは非常に衝撃的だった。リフレインされる言葉が耳に残り、歌詞が気になって仕方がなくなる。
歌詞をじっくり見ながら音楽を聴いたのはあれが初めてだったと思う。

そして歌詞カードを見て更に驚く。すごく短い。
サビはリフレインが多いため(言い方は悪いが)情報量も少ない。
だというのに恐らく伝えたいであろう心情や情景はめちゃくちゃ伝わってくる不思議。


このブログを読めば察して頂けるかと思うが、筆者は話が回りくどいし長い。更にいうと語彙も乏しいうえ、言いたいことがありすぎてまとめられずとっ散らかる。
そんな人種なもんだから、短い言葉の中で一つ確かに伝えたいことを明示しそのうえで様々な情感を伺わせる志村のワードセンスには脱帽するしかなかった。
極限まで削ぎ落とした言葉の美しさよ。

婉曲的な挿話であったり具体的すぎる名詞でもって聴き手の記憶に訴えかけてくる手法は本当にすごい。
志村の独特な感性による特異なワードチョイスがつっかかりとなって耳に入り、そして案外すんなり理解としてほどけていくのは不思議な感覚だった。
独特な表現でありながらさり気なく、地に足ついた言語感覚はなかなか持てるものじゃないと思う。

夏の名曲若者のすべては特にこの点が優れているように感じる。
普遍的な情緒をこれ以上ないくらいに表現しているすごい詩なのだ。まさに若者のすべて
過ぎ去りし十代の夏の終わりに感じた空気を、同じ時期にふと思い出しては持て余すような気持ちになるのは誰しもが通る道ではないだろうか。
あとは言うだけ野暮なので聴いたことのない人もある人もは歌詞と曲を聴いてしみじみしようそうしよう。


また、フジファブリックの曲は郷愁的なバラードだけではない。
電波なメロディの電波ソング、怪しいメロディの倒錯的な曲など、曲によって印象がガラリと変わるのも大きな特長だ。
ただどの曲であっても、その独特でインパクトがありつつ必要最低限に削ぎ落とされた歌詞と、贅沢に時間を取ったイントロや間奏やアウトロは共通していると思う。
とっ散らかった印象にならないのは持ち味をしっかり表現できているからこそなのだろうか。


そして志村フジの最たる魅力はなんと言っても志村の歌声である。
それがとにかく魔力的な何かを持っていた。
特別に綺麗な声でも、高かったり低かったり声量があったり嗄れていたりといった特徴的な声でもない。
あの1音1音手探りするような、子音も母音もハッキリしすぎるくらい発音する歌い方は、なんだか歌うのに慣れていない素人みたいだとすら思う。ライブ音源を聴くと音程すら危ういこともままあった。
でもあの声とあの歌い方が耳から離れなくなる。日常会話の延長線のような自然さと歌としての微妙な不自然さ。
アンバランスさは時に人を惹き付ける。
本当に独特の、魔力のこもった声だった。
フジファブリックのガラリと印象の変わるそれぞれの曲とうまく調和していた。


演奏についても非常に好きなのだけれど、音楽や演奏関連はマジのマジで圧倒的無知のド素人かつ楽器音痴なので、すごくかっこいい(こなみかん)としか言えない。
フジの曲はイントロや間奏が長いので聴きごたえあって楽しい。特にキーボードがパヤパヤしてていい味だしてる。

とにかく、私としては志村フジの歌声が好きだし曲も演奏も好きだし歌詞も好きだし、全てが魅力的に感じるという褒め殺ししかできない。
好きってそういうもん。

懺悔

しかし、白状するとこんなにべた褒めのくせにバンドそ のものについては全く詳しくない。知っているのはバンドメンバーの名前くらいなもんである。
せいぜい出ているアルバムを調べる程度でしかフジファブリックというワードを検索したことがないのだ。

きっとバンドやメンバーたちの曲への思いや人となりを知れば曲の新しい側面や背景を知ることもできると分かっていつつも、曲を聴いて自分の感性で良いと感じたことが全てだとも思う。

私見でしかないが、作品を楽しむためには作者との間に適度な距離が必要だと思っている。好きなものに対してあんまり情熱を注いで詳しくなってしまうと疲れるのだ。特に生きた人間が絡むものは。
語弊ある言い方になるが、志村が亡くなってからフジファブリックを知り、人に勧められて受動的に曲に触れたことが、私にとって適当と思える距離で作品を楽しめている一つの要因なのだと思う。


さらに懺悔するならば、2010年以降の活動を存じ上げておらず、フジファブリックのアルバムはMUSICまでしか持っていない。spotifyを通じて今も活動されていることは知っている。
な、なんかグループやファンの方々に対してあまりにも失礼だな……すみません……

でも現在のフジが駄目だとか嫌いだとか志村のいないフジはフジじゃないと言いたいわけではない。山内サン作曲の「記念写真」とか「B.O.I.P」とかすごい好きだし。
当時のボーカルが亡くなり、それでも解散せずメンバーを変えず、現在に至るまで活動を続けている彼らはまさしくフジファブリックというバンドなのだと尊敬の念すら抱く。フジファブリックは今も地続きで活動しているということはとても嬉しい。

ただ、私がフジファブリックの存在を知ったきっかけが志村の死だったのだ。志村ありきの存在しかないのだ。それだけである。
いやちょっと違うかもしれん。
死んだから存在を知ったし、死んだからこれだけ印象に残ったというのも確かにあるが、あの人の声と曲と歌詞があまりにも自分の感性にしっくり来すぎた。これ以上のものはもうないと思う。

一番好きなアーティストは生涯志村だと断言できるくらい。


好きな曲

面倒くさいオタクのこだわりの話はさて置いて、面倒くさいオタクの好きな曲の話に移ります。
順不同に思いついたままピックアップして書いているので悪しからず。


  • 唇のソレ

一番最初にティンときた曲。
アップテンポで明るく華やかに黒子への執着を歌われてびっくりした。どんな魅力的なものより黒子に執着するという倒錯をこんなにポップに歌うのか……と衝撃を受けた。
テロリロテロリロした曲調と跳ね上がるような歌い方でありながら謎にネットリした志村の歌い方がとてもイイ。
それでもやっぱりそれでいてやっぱり唇のソレがいい!のリズムがとにかく気持ちいい。

  • Monster

重厚なロックっぽいイントロからの女の子にあしらわれた男の独白のようなちゃんちゃんさらさらおかしい歌詞。笑ってしまう。
ダサい歌詞と曲の格好良さのアンバランスさがクセになる。
サビの盛り上がりとイントロのハードな感じも好きだが、Aメロ?語り?のあの地声っぽい早口が最高に気持ち悪くて最高にイイ。

  • 銀河

言わずと知れた電波曲。もはや伝説では?
銀河に関してはPVもセットですごくすごい(すごい)
パヤパヤしたイントロからスローな歌い出し、極めつけのタッタッタッタタラッタラッタッタ、とにかくすごい。
この曲、ラスサビまで含めて志村のテンション?歌い方?が極めて一定なので得体の知れないものに遭遇しているような雰囲気を味わえる気がする。
ぜひPVを観ながら聴いてほしい。ぜひ。

  • NAGISAにて

謡曲チックで若干チャイナチックなイントロが最高。爽やかレトロな夏の曲。
この曲からはノスタルジーとはまた違う古めかしさが滲んでいてイイ。ブラウン管カラーテレビのザラザラした映像越しに夏を眺めるような、自分の知らない遠い昔を観たときの懐かしさが滲んでいる。

映画の渚にてとは関係ないと思う。故意か偶然か、これ以外にも内容は全く関連性がないけど映画のタイトルと同じ題の曲が散見される。何かあるのだろうか。

  • TAIFU

台風が来たときの非日常感にいても立っても居られなくなるドキドキ感が演奏から伝わってくる。歌も演奏も一曲通してずっとアップテンポでハイテンション。
それこそ台風のように街中で荒れ狂ってる感じで聴いていてわくわくしてくる。
そして歌詞もメロディも支離滅裂で一度聴いたら耳から離れないこと間違いなし。疑問符も湧くこと間違いなし。
飛び出せレディーゴーで踊ろうぜ黙らっしゃいって何だ?音程それでいいのか?大丈夫か?

  • 陽炎

ノスタルジーな夏の曲。
イントロなしでAメロ→間奏→Bメロ
と繋がるメロディーラインが「現在(Aメロ)」から「過去(Bメロ)」を振り返る歌詞の文脈に連動していてスキルフル。

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気づいて
慌てて家を飛び出して
そのうち日が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる

サビの歌詞は上記のように〜て、〜て、と拙い語り口の一文になっている。
曲の盛り上がりと詩の拙さが、昔をリアルタイムに思い出しながらそのときの衝動も湧いてくるような勢いを伝えてきて、こちらもたまらない気持ちになる。
夏休みに友達と公園で遊ぶ約束をしていたのに雨で行けなくなってがっかりして、でもいつの間にか止んでたから早く行かなきゃ!という連絡手段が家電しかなかった頃特有の懐かしい焦燥感。
淡く消えてゆくアウトロもノスタルジーを加速させる。本当にイイ曲だぁ……

  • Strawberry Shortcakes

メロディの妖しさが大好きオブ大好きオブ大好き。純粋に曲としてはコレが一番好きかもしらん。
Aメロの急な場面転換がこの状況が夢か現かわからなくさせていてさらに妖しさを醸し出している。
魅力的な女性とディナーしてるのはわかるのだが、最初の皇居ランナー(?)からの高級レストランという場面転換、デザートの段になってようやく君の左利きに気づく違和感、そもそもレストランのデザートがショートケーキ?というなんかちょっとちぐはぐな所と曲調が相まって不気味な感じでイイ。
半音上げたラスサビの盛り上がりが最高。

  • Chocolate Panic

曲が大好き第二弾。イントロとAメロが特に最高。
二番のジーザス!ジーザス!アーメン!神様ひとつよろしくどうぞ、という全く信仰してなさそうな雑な神頼みの歌詞とリズムが最高に気持ちいい。
志村が綺麗な(?)裏声で歌う物珍しさもあって印象に残る。

  • 夜明けのBEAT

この曲、なんか異色。
志村フジには珍しい純度100%格好いいメロディストレートな歌詞
志村死後、デモテープに演奏を付けPVが取られた曲らしいので気合の入った演奏とどこか力の抜けた声のアンバランスさがあり、そのいびつさが非常に格好いい。聴いてて気持ちいいし好き。PVも込み上げるものがある。
ただ、なぜか歌詞の違和感が拭えない。どう言ったらいいのか、すごく普通な格好良さ。
志村独特の滲み出る郷愁や倒錯的嗜好が一切感じられない。ティンとくるフレーズがない。
魅力的な歌詞と曲調なんだけどね。
死後に出された曲だから変に穿って見てしまうのだろうか。

  • 桜並木、二つの傘

切り出そうとした僕に気づいたのなら君から告げてはくれないのか
が前半と後半で全く違う意味になる構成の上手さ、すごい。そしてすこし他力本願で責めるようなその台詞に破局もやむなしだなと妙に納得させる性格の印象付けもしっかりされる所、マジすごい。
恋の始まりから破局までの曲だが喜劇のオチが着いた時に流れそうな軽快なイントロから入るのがすごく好き。
サビのドゥタドゥダディバダバドゥダ♪はつい口ずさむ。

  • 線香花火

凡人のわたしは線香花火というと夏の終わりの静けさや儚さをイメージしてしまう。それに反してこの曲の激しさたるや。
悲しくったって夏は簡単には終わらないという叫び声に近いサビが格好良くて、なかなか聞かないフレーズで、やけに耳に残る。
だいぶ青春のかほりのする曲である。
フジファブリックには夏を題材にした曲がかなり多い。志村は夏が好きだったのだろうか。
その中でも一番激しさを感じるのがこの曲である。

  • 打ち上げ花火

打ち上げ花火っていうと激しくど派手なイメージがあるけど、曲調としては逆。
印象との逆転という意味では線香花火と同じだネ。
特にイントロはゆったりしていて、なんだか荘厳な感じ。そして長い間奏とサビで一気に盛り上がる。
まさに打ち上げ花火。
あの転調はマジでアガる。
歌詞も幻想的で、独特の感性で花火が打ち上げられ花開くところが描かれる。まどろむお月さんの顔めがけ打ち上げ花火を打った!このフレーズだけで10000000000点あげたい。
個人的な話だが、焦げ臭い匂いを描写するせいかお盆の頃を想起する。幼年期にぼんやり遠くから眺めたお盆の花火。
実際は打ち上げ花火の筒の近くにいるのだろうか。お地蔵さんの行列って花火の筒っぽいよね。
あとコレは日比谷野音の演出がガチで神がかってるのでDVDで是非観てほしい。

  • 花屋の娘

キーボードが効いてて好き。情熱的なようなぽわぽわしたような、良いラブソングになりそうなイイ曲。
格好いいイントロ、夕暮れの路面電車という叙情的な歌い出しから始まる暇つぶしに花屋の女の子との恋を妄想する話。静かに狂気的な歌である。メジャーデビュー前の曲のせいかパンチの効き方がすごい。
スミレと名付けましたじゃない。そこにウェーブを効かせるな。でも最高です。

  • 消えるな太陽

全体的に若くて荒々しい衝動を感じさせる歌詞でありながらイントロからサビまでゆったりしたテンポのメロディの不思議な曲。
ゆったりしたテンポだが穏やかってわけでもないし、ほんとに不思議。
あまりにも主観的だが、教授の都合で休講になりヒマになった平日、昼間に起きてふらりと外出して寂れた映画館で適当なものを観て特に何を得るでもなく夕方頃に映画館を後にした大学時代の在りし日。そんな無為に潰してしまった日の虚しさをしみじみと思い出してしまう曲。若い頃の尖った心だけ持て余して特に何も成せない虚無が押し寄せてくる感じ。
それとは別に詩のないラブソングというフレーズがやけに印象に残っている。
どんな曲を聴いてコレはラブソングだと感じたのか知る由もないが、良いフレーズだなとただ思う。



好きな曲はまだまだあるが、書く方も読む方もそろそろ限界が来る頃な気がするので切り上げる。
誇張なしに全部好きなので語ろうと思えば際限はない。

若者のすべて茜色の約束は言わずもがな、桜の季節赤黄色の金木犀も好き。MUSICも。四季の歌にハズレはない。むしろ全部大当たり。
他にもパッションフルーツの「眼鏡はどうかそのままで」とか、マリアとアマゾネスの「さあその手を汚してよ」とか前述した唇のソレとか、倒錯的な曲もたまらなく好き。

いつかまた書ききれなかった好きな曲について語る記事を書くかもしれない。多分次は15周忌くらい。



追悼


ここまでとりとめもなくダラダラと書いてきてしまったが、いまだ志村氏の死を悼んでなかったことに今更思い至る。

しかしこの段になって冥福を祈るのもおかしい気もする。
亡くなって十年にもなれば故人の思い出話などに花を咲かせるのが一番じゃないかな、ということで。

わたしは故人との思い出が一切無いただのファンであるし、そもそも志村氏が生きていた時分は存在すら知らなかった。

それでもしかし、彼の遺した作品を通じて痛烈にその存在を覚えることになった。存在を知ってからは一時も忘れることはなかったと言える。それくらいずっと曲を聴いていた。
亡くなった大好きな叔父を思い出すことが減ってしまっても、会ったこともない志村氏は毎日そこに存在していたのだ。

そう考えてみると、アーティストたちが作品の中で生き続けるというのはあながち嘘じゃないのだなとしみじみする。ただ時が止まってしまったというだけで。


思えば私も志村氏の享年にだいぶ近づいてきた。たしか彼は28か9だった覚えがある。
その年齢に近づくにつれ、彼が若くしてどれだけの名曲を作り世に出してきたのかを思い知らされ、その才能に畏怖の念すら覚える。

そしてまだ若い志村氏に今後の更なる発展を期待していたであろうご家族や、メンバーや、ファンにとって、あるいは志村氏本人にとっても、その死がどれだけの悲しみと衝撃をもたらしたかを思うと言葉が出ない。


しかし身勝手なことを言うと、彼が亡くなっていなかったら私はここまで鮮烈に志村氏の存在を知り、作品に触れることはなかったかもしれない。だから、その死を惜しんだり早すぎたと言う権利は持っていない。
ただ、志村氏の才能と作品に対して抱いている敬意と愛だけは本物だとだけ。


私の中で十年という大きな区切りであったため記事を書いてみたが、それで何かが変わるとか言うことは特に無い。
これからも、これまでと何も変わらずフジファブリックを聴き続ける。通勤のお供である*1
今年はSpotifyで通算300時間くらいフジファブリック聴いてたことが判明し、我ながら中々だな、と引きつった笑いが出た。


そんなこんなで志村正彦氏の遺した作品たちへの愛と彼への追悼の意を表し、記事の締めとする。
そしてここまで読んでくださった方がもしいらっしゃいましたらありがとうございます。
長くて申し訳ない。


そんなフジファブリックとわたしでした。

*1:21.11.6追記:この記事を書いた数ヶ月後に在宅勤務が基本の世界になるとは思わなかったね……