茶箪笥のモリタート

考察は妄言 深読みは趣味

ポケットモンスターとわたし

はい。


ポケモン最新作、ソードシールドが発売して二ヶ月とちょっとが経った今日この頃。
発売当初の身の回りを見ると久しぶりにポケモンに触れた、初プレイだ、というプレイヤーも散見され、ポケモンというコンテンツの息の長さと巨大さを感ずることができた。
ポケモンGOとかもすげえよな。


かくいう自分は当初プレイするつもりは全くあらず、発表当初はあっもうそんな時期だった?程度の反応だった。
ソードシールドというタイトルが発表されたときはギルガルド主人公か?ギャハハ!みたいなタチの悪い絡み方をしていた。猛省。


そしてソードシールド発売から一週間後。
そこには元気に寝ずのポケモンプレイをする筆者の姿が!
TLで楽しそうにプレイするフォロワーたちの呟きや、着せ替えやキャンプの画像が流れてきたらさ……遊びたくなるじゃん……
更にググったら金の力(5000円くらい)でミュウと冒険の旅に出れると知る。
ミュウと共に旅に出られる……なんと甘美な……
わたしはかわいい女の子をキャラメイクできる要素に弱いし、ミュウと触れ合える機会にも弱いのだ。


というわけで諸々の要素に興味が湧いてきたところに最初からミュウと冒険できると知ったのが決定打で、気づけばポチッからの当日配送からのレッツプレイだった。
Switchも持っていなかったので買った。
Liteのポケモン限定デザイン、色合いがファミコンのコントローラーみたいでかわいい。

ちなみに何を隠そう小学生以来遊んでいなかったポケモンをXY発売時に再開したのも今回と同じ2つの要素(着せ替え、触れ合い)に惹かれたからである。
主人公がかわいいし着せ替えられるしポケパルレで3Dモデルのミュウと触れ合えたから仕方ない。
その為に未所持だった3DSも買った。
歴史は繰り返す。


ポケモンソードプレイ所感

そんなこんなで久々のプレイとなったポケモンソードシールド、思った以上に面白かった。

サン・ムーン未プレイのため知らないポケモンも一気に増えて新鮮だったし、エンカウント方式がシンボルとランダムを織り交ぜてなんかいい感じになっていてよかった(語彙力の限界)。
とにかくワイルドエリアが楽しい。
それにミュウとカレーを作ったり戯れられるのが幸せで幸せで幸せで……
美味しくないときも困った顔で山盛りを完食してくれるミュウ……ミュウはこんなにちっちゃいのに大食いなんだね……飛ぶのも速いねかわいいね……
ミュウ……かわいい……もう離さないよ……

あとミュウロトム以来の推しポケが増えました。
ドラパルトドラメシヤちゃん、ヤバいかわいい。
あのちょっと間抜けな感じの表情と短い手足とまるぽて感がたまんねぇな……

ミュウはわたしの頂点で別枠だから置いておくとして、好きポケがロトムにドラパルトだとそこはかとない性能厨のかほりがするな。
強い子は好きなのでそれもまあ間違いではない。

性能の話が出てきたついでにバトルについても少し。
現状、環境破壊ポケモンが少ないため並プレイヤーでも楽しく遊べている。
今回の切り札ダイマックスは見た目も効果もシンプルに強くて戦略性があってめちゃ楽しい。
技の追加効果がタイプ毎の固定になるため先制技や補助技が使えなくなるといったデメリットもいい感じに作用してる。

メガシンカもさ……特別感があって楽しかったけど……キャラごとの差がすごかったから……

それと20年1月現在に実装されているポケモンの数がまだ少ないため、数年ぶりの対戦復帰でもなんとか情報を思い出したりアップデートしながら戦えている。助かる。
マスターボール級になっとけば600BP貰えるのもうれしい。


バトルの話はこれくらいにしてストーリー関連へ。

ストーリーやキャラクターも惹かれるところが多かった。
今はモンスター要素だけじゃ駄目なんだろうなという世相を若干感じる。
いや、昔からキャラクターには気合入れてたような気もするケド……前より多くのキャラがストーリーに絡むようになったというか……
この辺はキャラクター人気の強いBWやサン・ムーンをプレイしていないわたしの主観が強い。

まあそれはそれとして、ソードシールドの冒険譚はゲーム・ポケットモンスターにおける殿堂入りまでの話の様式美的ストーリーラインを知っているプレイヤーだからこそのやられた!感があった。
様式美を逆手に取って、悪の組織とか伝説のポケモン関連がちょっとイレギュラーな感じだったというか。わたしが勝手に騙されただけかもしれない。
でも楽しく騙されたのでよかった。

そしてわたしのような20〜30代の、初期から中期にかけてポケモンと共に育った世代に色んな意味で刺さる話でもあったように思う。
いい意味で世代交代を強く意識させてくる内容だった。

本作で目標となるチャンピオンはこれまでと違ってはじめからこの人だ!と提示されている。
そしてそのチャンピオン・ダンデはこれまでのポケモン主人公たちの要素を集めて大人になったようなキャラ造型なのだ。
常に帽子を被っていて、博士の孫がライバル(だった)、家に父の存在がなく、あまり家にも帰ってこない、10歳でチャンピオンとなった無敗の男。
元プレイヤーキャラ故の方向音痴(目的地に直行せず別の場所に行くというメタネタ)だとか、悪の組織がいないのは前作(概念)主人公だったダンデが倒したから、などという考察もあっておもしれ〜と思った。
この過去のプレイヤー的存在がプレイヤーの手から離れて、新しい主人公の前に立ちはだかるのだ。

ちなみにチャンピオン戦はBGMがヤバい(ヤバい)。
ネタバレも甚だしいが言ってしまうと曲のイントロが初代殿堂入りBGMなのだ。
私が兄のお下がりの初代をプレイしたのはもう十数年前になる。
それでも始めて達成したゲームクリアの象徴であるあのファンファーレ風のメロディは頭の片隅にずっと残っていたようで、イントロを聴いた瞬間私は泣いた。マジで。
少し大袈裟だがダンデというキャラクターはこれまでのポケモンの歴史の象徴なのだなと思った。

そしてそれを倒して新たな王者となる主人公。
これもある種の象徴なのだろう。

世代交代を意識させると先に述べたのはこの点だ。
ゲームの中ではチャンピオンの世代交代のみならず、ジムリーダー、博士の間でもそれが発生している。
それらの世代交代は断絶ではなく継承であり、受け継いできた大人の偉大さと受け継ぐことによる変化や若者の活躍が肯定的にストーリーで描かれる。

それは無論ゲームの中だけではなくポケモンというゲーム自体の意思表示でもあるのだろう。
意図的に過去作品を想起させる要素を取り入れてるもんね。
ゲームでの出来事でプレイヤー側にそれを伝えてくるというアプローチ、めちゃくちゃイイなと思う。

嬉しさと懐かしさとぼんやりした寂しさと。
様々な想いが湧きながら新たなポケモン世代の幕開けが感じられて本当に楽しかった。

そんなソードシールドをプレイして今までの自分のポケモン遍歴を振り返りたくなったのが今回。
前ふりが長すぎた気もするがソードシールドの感想も語りたかったしまあこんなもんじゃろ。

というわけで、以下これまでのポケモン思い出話。


わたしのポケモン遍歴~はじまり~

自分は年代で言うとおそらくRSE世代にあたる。
GBA世代とも言う。
小学校低学年の頃はくるくるくるりんやFEや逆裁などに熱中していたため、リアルタイムでポケモンを遊び始めたのはルビサファではなくエメラルドからである。

アニポケはたまに観ていた覚えがあるし、映画も非常に小さい頃に兄に連れられてミュウツーの逆襲を観てミュウに一目惚れもしたし、別にポケモンと関わらない生活をしていたわけではなかったのだが、如何せんゲームをやろうという発想がなかった。
なんでじゃろな。わからん。

そして月日は流れ小学4年生になった夏休みのある日。
兄が処分しようとしていたゲームカセット群の中にポケモン緑を見つけたのが一つの転機である。
いっちょやってみっか!とGBAに差し込んだのが私にとってのゲーム・ポケットモンスターの始まりだった。

余談になるが、わたしが初代を見つけた当時ですら既に赤緑が発売されて10年は経っていた。
ソフトを新しく買うことは難しかっただろうし、そもそも兄がソフトの整理をしてわたしの目にとまらなければ遊んでみようと思うこともなかったはずだ。
そう考えると10年前のソフトを大事に保管していた兄がわたしのポケモンプレイ史MVPと言える。
そもそもわたしのゲーム遍歴は兄の影響しかないのでコレに限った話ではない。

更に余談だが初プレイが初代だったのは今思えばかなりの僥倖だったと思う。
はじめに原点を知ることができたというのもあるが、その後の世代に慣れてしまった後にあのグラフィックと不親切仕様は耐えられなかったと思うのだ。
主に白黒の画面と移動速度がね……ウン……
現在のダッシュと自転車に慣れたら初代のもっさり移動ともっさり自転車は絶対ダルいぞ。
白黒は今なら逆に楽しいかもしれないけれど。


昔と今のゲームを比較するとグラフィックはもちろんのこと、操作のストレスやレベルデザインの向上が目覚ましいなとしみじみする。
昔のクソゲーすれすれの超難易度ゲームたちもなんだかんだ楽しんでいたけど、やっぱり適度にプレイしやすく進化していく今のゲームも楽しいね。
特にどんなゲームでもエンカウント周りは最新作が一番快適だと思う。ストレスは軽減するに限るぜ!
なんの話だコレ。


わたしのポケモン遍歴~赤プレイ~

というわけでGBAにはみ出すカセットを差し込み、冒険の旅に出た10歳のわたし。
システム周りは不親切仕様ばかりだったが(当時は不自由とも思っていなかったけれど)、ライバルの小憎たらしさと強さにムキー!となりながら出会ったポケモンを捕まえ、育て、色々な町やポケモンに出会う旅は楽しかった。
ポケモンに対する知識がたまに流し見するアニメ程度にしかなかったため、
なんだこのポケモン!?レアか!?
ボール投げられないじゃんなんで!!?
サファリ?攻撃できないし石投げよ!
次どこ行きゃいいんだ??戻るか?!
といった感じで、今思うと羨ましくなるくらいにはポケモンの世界を満喫していた。

ここでちょっとしたプレイエピソードを一つ。
3つ目のジムを攻略して次の町に行こうとすると途中の道にカビゴンが横たわって通れなくなっている。
そのため主人公は来た道を引き返し、回り道をして次の町に進むことになる。その際に通る洞窟・イワヤマトンネルは普通に入ると真っ暗で進む道も何も見えない
その解決策となるのが3つ目のジムバッヂを手に入れたことで使えるようになるひでんわざ「フラッシュ」である。
しかし当時のわたしはフラッシュのわざマシンをくれるおじさんのいる所をスルーしてトンネルに赴き、「この暗闇の中を進まないといけないのか」と絶望した。
そしてなんと音とトレーナーとのエンカウントを頼りに暗闇を突き進み数日かけて洞窟を攻略したのだった……
時間の無駄以外の何物でもないセルフ縛りプレイだった。

10歳のわたしは引き返すという選択肢を持っていなかったし、何も見えない暗闇の中を進むという状況がおかしいということに気がつけなかった。
あまりにも愚か。気が狂っていた。
あんな真似は二度としない。
でもあんなゲーム体験はあの時しか出来なかったと思うと少し愛おしく……ならないな!!!!

引き返さなかったわたしもわたしだが、そもそも初代はひでんわざをくれる人たちが全体的に変な場所にいると思う。
フラッシュくれる人の家の場所ってぶっちゃけどうよ?そらをとぶも。

まあ普通は虱潰しに道を進むから見逃すなんて失態を犯すこともないと思うけれど、あの白黒世界、どこに行ったことがあってどこをまだ見てないかの判別がマジでつかないのだ。
なみのりも歩数制限あるなかかいりきを駆使しつつサファリの奥まで行かないともらえないとか無茶言われた気がするし……
(このへんはおぼろげ。貰えるのはラプラスだっけ?)

詰まったら攻略サイトという時代でもなかったため、とにかく見たことのないところを探しては闇雲に進み……という時間が膨大にある小学生の夏休みだからこそできたガムシャラプレイをしていた。


わたしのポケモン遍歴~赤プレイ後~

そんなこんなで楽しく初代をプレイしたのち、ポケモンの楽しさにどっぷり浸かったわたしは続けて兄の持っていたカセット群から見つけた銀をプレイ。

初代より遊ぶ要素や寄り道も増えたしカラーになった事で賑やかに感じられる旅だったが、なんだかすぐにリーグに辿り着いた気がした。
そこで戦うしてんのうと自分のポケモンのレベルが低いことにも首をかしげる

からの〜〜〜〜〜カントー地方進出!!!!!!

まだ冒険が出来るんだ!!しかもカントーで!!!!と大興奮した。
初代ライバルや主人公が待ち受けていたことも嬉しかった。
先に初代をやっていたからこその興奮と喜びだった。


そんなポケモン漬けの夏を送り、それでも冷めやらぬポケモン熱。
その年のクリスマスプレゼントに当時の最新作・ポケットモンスターエメラルドを買ってもらった。
そしてOPのドットアニメーションの美しさにものすごい衝撃をうけた。
あの葉っぱに水滴が垂れるところヤバない?マジヤバ。
カイオーガグラードンのムービーもすごいと思った(こなみかん)。
建物の裏に行けることにも地味に興奮した。
建物に立体感がある〜〜〜!!!
そしてポケモン毎に固有のミニキャラグラがある衝撃たるや。
直近にやっていたのが前世代ハードのゲームだったため感動もひとしおだった。

半年間に数年分の技術の進化(白黒→カラー→更に鮮やかなカラー)を見せつけられ、かがくのちからってすげー!と思った。


ちなみに初めて自力で遊んだRPGポケモンだったため、ゲームを攻略する能力が誇張抜きに赤子レベルだった。feはSRPGなのでノーカン。
まあイワヤマトンネルノーフラッシュ事件でお察しの通りである。

エメラルドでは先にマグマ団アジトを攻略しないとアクア団基地に進めないのだが、その事に全く気づかないわたしはアクア団のアジト前で数カ月足踏みし続ることになる。
そしてレベルだけが上がり続けようやく進める段になったときにはまだ7つ目のジムにもたどり着いていないのに平均レベル80超えのパーティが出来上がっていた。
ポケモンのストーリー進行に詰むって……(ドン引き)

7つ目と8つ目のジムや伝説のポケモンたちですらこちらの圧倒的な数字の暴力に手も足も出ず、チャンピオンミクリのルンパッパに当たるまでラグラージ無双が続いた。
幼いながらに圧倒的な力でただ殴ることの味気なさを学び、その後は必要最低限のレベリングしかしない派に成長する要因となった。

学んだといえばエメラルドのバトルフロンティアは凄かった。
それまでストーリーでブイブイいわせてたポケモンたちで惨敗を繰り返し、レベルを上げるだけやフルアタックによるゴリ押しでは勝てないバトルがあるのだとまざまざと見せつけられた。
フロンティアブレーンには2、3人にしか会えずじまいだった記憶。
レベル80パによる数字の暴力は例外としても、基本負け知らずのまま殿堂入りするストーリーの後に油断してもしなくてもボロ負けするような強いヤツしかいないバトル環境に置かれるのはなんかドキドキして楽しかった。
張り合いがあるっていいことだなあ。
ただし厳選なんてものは存在すら知らなかった。知らなくてよかった。
調べてしみじみと思うが昔の厳選環境は頭がおかしい。

プレイ時間で言えば詰んでた期間を除いてもエメラルドが一番長かったと思う。
バトルフロンティアもそうだがひみつきちや海底洞窟など、クリア後も遊べる要素が沢山あったのだ。
楽しかった。
そして視力悪化の原因でもある。
今の若い子は知らんと思うがね……昔のゲーム機の液晶画面は光らないんだ……とにかく暗いんだ……
あんなもん長時間プレイするとか正気の沙汰じゃねえ。

追加の余談。
初めて映画でミュウを観たとき(4歳かそこら)からずっとミュウを愛してきたが、手持ちになったのは2005年。
映画「波動の勇者ルカリオ」のチケット購入特典でゲットするまで入手手段があらず歯がゆい思いをしていた。

期間的にはかなり長い間ミュウを欲していたが、プレイを始めてからと考えるとミュウを手に入れるまでせいぜい1年かそこらの空白期間であった。
子供の頃の年月の重さを感ずる。

わたしのポケモン遍歴~第一次プレイ卒業~

そしてバトルフロンティアや赤のリメイクをやったりしながら月日は流れ、DP発売
予約して発売日に買ってもらった。

御三家も伝説も格好良く、ゲームから醸し出される独特の雰囲気が魅力的なこの作品だが、とにかく怖かった
もりのようかんが怖すぎる。
無音の教会もこわい。
ギラティナのいる洞窟も怖い。
クレセリアのいる島に行く港がある町も怖い。
全部怖いわ。まじ怖い。ダイパは怖いところ多すぎん?
思えばダイヤモンドが私にゲームでの恐怖という概念を教えた。

それまで赤緑のシオンタウンの曲も正体がつかめない幽霊も、金銀の焼けた塔も、RSEの捨てられた船や海底洞窟も、全く恐怖を感じなかった。
だってドットだしゲームだから。
別ゲーだが逆裁の恐怖演出として名高い「DL6号事件を忘れるな」にも何も感じなかった。情操が発達していないぶん今よりゲームに対してはリアリストだった。つまんねえ子供だよ……

だのに情操が育ったせいか、ダイパがとりわけ不気味だったからなのか、あるいはそのどちらもなのか。
ポケモンのホラー要素に泣くほどビビり、ドットゲーって怖いんだということを知ってしまった。

知るが最後、今ではもうシオンタウンはおろかグレンタウンのポケモンやしきですら怖くて入れないと思う。
ギガシリーズを開放するための海底洞窟とか点字による謎解きとかもマジムリ……こゎぃ……ダイビングこゎぃ……
ギガシリーズがいる地点とかもりのようかんの実際の場所の話聞いて恐怖で泣いたもん。勘弁してくれ。
でもロトムは好きだよ。かわいいよ。

そんな半分トラウマのような恐怖体験や中学進学と部活動の開始というタイミングもあり、ダイヤモンドで一旦わたしのポケモンプレイ史は幕を閉じる

わたしのポケモン遍歴~XYプレイ~

そしてポケモンプレイ第二幕が開けたのは大学入学後。XY発売が契機である。
実に七年ぶりポケモンであった。
動機は前述の通り可愛い女の子の着せ替え要素とポケパルレである。

XYはハードが3DSということもあってドットが3Dに、人物たちの頭身が高くなり、人もポケモンも表情豊かに動く動く。
立体的な町並みと綺麗な景色も目に楽しい。
すべてが記憶のポケモンと異なっていて新鮮な気持ちで楽しめた。
特にローラースケートのシャーシャー音、気持ちよくて好き。
BGMも全体を通して派手さはないが荘厳な感じで好みだった。

そしてここに来て育成にハマる
ネットの普及により育成論や厳選など知らなかった世界の知識が入るわ入るわ。そしてアイテムや仕様の変化による育成の易化。
これはやるしかねぇ。
そんなこんなでその年の正月は色違い5Vヒトカゲの孵化に忙しかった。
色違いメガリザXめちゃ可愛いんだよ……もう使えないけど……

過去作のポケモンを連れてこれるポケバンクの開始がクリスマスだったため家に遊びに来た友人をほったらかしてDS二台持ちでポケモンの移し替えをしてドン引きされたりという話もあるが、そこはまあ省略する。


ガチと言うほどでもないが育成や対戦にも手を出しトライアンドエラーを繰り返しながら知識を身に着け、そこそこのレート帯まで進み、ポケパルレでミュウと戯れ、主人公を着せ替えて愛で、満喫していたポケモン史第二幕。
しかし楽しみにしていたマイナーチェンジ版が出なかったことによるガッカリ感で二度目のポケモン離れに至る。

XYのストーリーやキャラは薄味だとよく言われる。
実際自分もそう思う。
鮮明に覚えている赤や銀やエメラルドとやダイヤモンドとは異なり、XYはすでジムリーダーや伝説ポケモンの名前やシナリオ上の出来事の記憶が朧げだ。
それでもあの作品は自分にとって数年ぶりの復帰作であったし育成に手を染めたきっかけでもあったし、思い入れでいえばとても印象深い作品だった。愛着が湧いていたのだ。

ストーリーもマイチェン補完前提のような点が見受けられたし出たら絶対買おうと思っていた。
が、それをすっ飛ばしてルビサファリメイク完全新作
20周年を跨ぐ時期だったから仕方ないとは言うけどさ……でもさあ……
オマケにメガシンカ黒歴史化してしまった現状を見ると非常に悲しい。

ドットから3Dへのグラフィックの変化、新たなバトル要素、新タイプフェアリー実装、主人公の着せ替え要素などなど、革新的なというか新天地的作品だとは思うんだけどね。
如何せんそれだけなんだろうネ……

それに当時の世間の反応を思い返してもXY打ち切り(?)にそこまで反発も出てなかったように思う。
薄いからね、存在がね。
う〜ん悲しみの雨。

現在とまとめ

そしてまた月日は流れる。
大学を卒業、院も卒院、社会人生活にも慣れてきた今日この頃。
ポケモン剣盾発売。
始まるポケモン史第三幕。

再開の動機と空白期間の長さがDP−XYとXY-剣盾でほぼほぼ同じことに運命を感じる。
発売周期が同じなだけだろうけど。


こう考えると自分はポケモンで遊んでいた期間より空白期間のほうが長いことに気づく。
それに外伝系は全く触れたことがないしけっこう淡白なプレイヤーなのかもしれない。

それでも初めて遊んだRPGポケモンだ。
ポケモンのシンプルかつ王道の冒険譚は子供の頃の忘れられない大切なゲーム体験になっている。
そして新たに刻まれたソードシールドも、きっと忘れられないゲーム体験として残っていくのだろう。


ポケットモンスターと私の話、以上!